もし、赤ちゃんがストーブを触ろうとしたときに、お母さんが気が付いて寸前の所で止めました。
 お母さんは、赤ちゃんが触らないように、ストーブをしまって、ホットカーペットと、エアコンに取り替えてしまいました。
 さあ、この時、赤ちゃんはどうするのでしょうか?
 ストーブという<興味>の対象が突然目の前から消え失せました。
 ストーブという、赤くて暖かい不思議で面白そうな物体が、突然なくなったのです。
 触ってみたい、と言う<好奇心>は満たされませんでした。
 物語の最後の1ページが読めなかったのです。
 消化不良ですね。
山田隆文の歯医者さん日記

 満たされなかった<好奇心>は一生私たちに付いてきます。
 なにも、ストーブが熱いことを、火傷をさせて教えなさいと言っているのではありません。
 やがて、色々なことを経験していくうちに、本や色々なものから、ストーブは熱いんだと言うことをちゃんと覚えて行きますからご安心下さい。

 ことが、ストーブだったとしたら、簡単です。
 でも、他の<危険>の対象物は如何でしょうか?
山田隆文の歯医者さん日記

 私たちが子供の頃は、ガキ大将が居てと言うことを書きました。
 毎日、真っ暗になるまで、本当にどろんこになって遊びました。
 その遊びの中で、色々なことがらを経験していったのです。
 喧嘩もしましたし、木登りをして落っこちて骨を折ったこともありますし、マンホールに探検に入って迷ってしまったこともありますし、知らずに漆の木に触ってかぶれてしまったこともあります。
 そうやって、喧嘩の仕方や、危険の回避の方法を、身体を通して少しずつ覚えていったのです。
 でも、もし、そう言った経験がないまま大人になってしまったとしたら?
 さて、もう一度赤ちゃんの話に戻ります。
 やがて、赤ちゃんは自分で立って歩けるようになります。
 お母さんは大変ですが、行動半径は飛躍的に広くなりました。
 悪戯も絶頂期を迎えます。
 見るもの触るもの、すべてが<好奇心>の対象なのです。
 毎日毎日が新鮮で、新しくて、<わくわく>する<冒険>の連続でした。
 ある日、たまの休みだからとお父さんが映画のビデを借りてきて見ようとすると、ビデオデッキの中からお煎餅が飛び出します。
 もし、そういった経験が、経験する前に、止められてしまったらどうなるでしょう?
 補導員が制止して、道路も渡れません。
 もし、そういった一つ一つの経験が、バーチャルの世界でしかできなかったらどうなるでしょう?
 そのまんま、大人になるんです。
 ピーターパンのできあがります。
 <経験>することが<怖く>なります。
 外に、自分の<感情>や<気持ち>が上手く伝えられません。
 アニメのキャラクターや、フィギュアなら大丈夫ですね。
 一日中、テレビやパソコンとにらめっこです。
 熱い太陽の下で、汗かいて、遊んだことなんかありません。
 泥は汚いものです。
 家に帰ると、除菌石けんや抗菌グッズであふれています。
 ……

 今でも、ドイツでは発刊されている「宇宙英雄ペリーローダン」シリーズというSFがあります。
 私も、読者です。
 さて、冒頭は、超空間航行もできる宇宙人が、バーチャルの世界にはまり、デカダンスに落ちって居るところから始まります。
 それを、まだ、月までの飛行しかできない地球人、ペリー・ローダンが救います。

 もし、何も刺激がなくなったら?

 寝たきりの老人と同じですね。
 朝、起こされて、無理矢理歯を磨かれ、お腹もすいていないのに、朝ご飯の経管栄養を与えられ、点滴をされ、お風呂に入れられ、おむつを替えて、昼ご飯を注入され、夜ご飯を注入され、暗くなったからと電気を消された……。
  
$山田隆文の歯医者さん日記

 あれ?
 それでいいの?
 私たちは、何のために生きているの?
 もちろん、これは、究極の質問です。

 聖書にもこんな言葉が書かれています。

 The wind blows where it wishes,
 and you hear the sound of it,
 but cannot tell
 where it comes from and where it goes.