私たちはこの世に生を受けました。
 始めは、母親や家族の無条件の愛と、保護に包まれています。
 まだ目も開かない、首も座らない、自分一人では行動することの出来ない乳児の時には、保護者から手が離れると言うことが、最大の<恐怖>でした。
 やがて、目が見えるようになり、私たちは外観を認識し始めます。
 ハイハイが出来るようになると、私たちは動き回ると言うことが出来ます。
 目に入るもの、手にするものはすべてが<好奇心>の対象でした。
 赤ちゃんは、すべてのものを、先ず手で触れ、なめてみようとします。動くものがあると、目をまん丸くして追います。
 これは、自分に有益なものと、無益なもの、そして、危険なものを、一つ一つ体験しながら分析していく過程なのです。
 これらの過程を、どのように過ごしてきたかどうかが、私たちの未知のものに対する<恐怖心>と<好奇心><冒険心>とを隔てる境目になるのです。

 1つの例です。
 火があります。
山田隆文の歯医者さん日記

 ストーブに触ると熱い。
 確かにその通りです。
 ストーブに触ると火傷をするので、ストーブにハイハイをしていく赤ちゃんを、お母さんは必死で止めます。
 「あっちっちよ。」
 そう言われても、赤ちゃんには理解できません。
 赤々と燃えているストーブは、この時の赤ちゃんには<恐怖>の対象ではなく、あくまでも<中立>な<興味>の対象でしかないのです。
 「触っちゃダメよ!」と言われれば、余計に触ってみたくなるのが心情ですね。
 で、お母さんの目を盗んでストーブに触りました。
 指の先から、厚さがじーんと伝わってきます。
 <痛い>んですね!
 <痛み>は生命の<危険>を示す最も基本的な<感覚>であり、その<感覚>は生命維持のために<恐い>という<感情>を誘発します。
 当然、赤ちゃんは手を引っ込めて、烈火のごとく泣き叫びます。
 漸く気が付いたお母さんが、「だから触っちゃダメって言ったでしょ!!」と怒鳴ります。
 いつもにこやかなお母さんが、<怒った><恐い>顔をしています。
 そして、赤ちゃんの頭の中で回路が出来上がります。
 ストーブは熱い、熱いから危険、ストーブに触ると、お母さんの顔が恐くなる、だから、ストーブには触らない方がいい。

 経験には、どのような結果であれ物語がちゃんと<完結する>ことが重要な過程なのです。
 <原因>と<結果>が、ぴったりマッチすることが重要なのです。
 これが、正常な発達です。

 もし、完結しなかったら?
山田隆文の歯医者さん日記

 こんな、大爆発が起こるかもしれません。

 もし、完結しなかったら?
 もし、小説の最後の一ページが無くなっていたらどうでしょうか?
 消化不良ですね。
 完結しないと、次のステップには行けません。
 ドラゴンクエストだって、スパーマリオだって、ファイナルファンタジーだって、一面のラスボス倒さなければ、次の面には進めません。

 人生のハードルも同じ。

 目の前に、色々なハードルが現れます。

 でも、それは、その時にぴったりの必要なハードルです。

・飛ぶ?
・飛ばない?
・一回チャレンジして、ダメだと諦める?
・ダメでもダメでも、ぶつかってみる?

 さあ、そこから、どんな結果が現れるのか?