別の例です。
この写真は、今日の東京12チャンネルでやっていた「天空の宿」の燕山莊。
さて、私たちは、高い山の上や崖っぷちを<恐い>と感じます。
でも、山登りをする人たちが居ますね。
私もそのひとりです。
よく、一人で、北アルプスの3000メートルの尾根を散歩します。
この週末も北アルプスを計画していたのですが、残念ながら、台風12号に阻まれてしまいました(泣)。
晩秋の、小屋締めの直前に登ると、一日歩いても、誰とも会わないことすらあります。
「寂しくないの?」と訊かれるのですが、逆に、わくわくしているんですね。
私はそこまでできませんが、映画にもなった<岳>の世界のように、わざわざ危険と隣り合わせのロッククライミングをする人も居ます。
<恐い>のになぜそんな所へ行くのでしょうか?
<恐さ>の向こうに<喜び>があるから、冒険する<勇気>が生まれるのですね。
私など、わざわざ、高い崖の上からパラグライダーを背負って飛び出します。
また別の例です。
別の意味での<恐い>ものもあります。
幽霊などは、夜中に1人では出逢いたくない存在ですね。
(妖怪大戦争のキャラクターたちは非常に可愛かったですが……)
でも、私たちは、好んで、お化け屋敷に入ります。
<喜んで>フランケンシュタインやミイラ男やドラキュラ男爵や悪魔の登場する<ホラー>映画を見ますし、「スカイラインー征服ー」や「ロサンゼルス決戦」のように、凶悪な宇宙人が地球に攻めてくる<パニック>映画を見ます。
変だと思いませんか?
<怖い>んですよね!
人間には、<恐い>もの見たさという不思議な<好奇心>があるのです。
でも決して、これは、不思議ではないのです。
<恐さ>には対象物があります。
私たちは、未知のものに対して<恐さ>を感じるのです。
スキーもそうですし、山登りもそうですし、お化けもそうです。
未知のものが未知のものでなくなったとき、<恐さ>は別のものに変化すると言うわけです。
ですから、<恐れ>は主観的で相対的で種々のグレードが存在するという理由は、その個人個人が経験した種々の事柄の差によるものであると言えると思います。
さあ、<恐れ>と<喜び>の境界線はどこにあるんでしょうか?
これまで、<恐れ><怒り><嫉妬>は、悪い感情として扱ってきました。
<喜び>は良い感情の代表例として取り上げています。
でも、前にも書いたように、感情って、くるくる変化してしまうんです。
一所懸命に、分類をして地図を描こうとしてるのに、だんだんと、境界線が不明瞭になってきてしまいました。