物事は中立です。
ですから、とらえ方で、全く違ったものになってきます。
今年の平成23年7月新潟・福島豪雨でも、大きな被害がありました。
いまだに、磐越西線は馬下(まおろしと読みます)から津川までは復旧していません。
これは、ちょっと前の平成16年7月新潟・福島豪雨の出来事です。
こんな、学生さん(卒業生ですが)がいます。
新潟集中豪雨で、家が、完全に流されてしまいました。
普通に考えれば、相当なショックです。
さて、無事を確認しました。
すると、「観た!」ときました。
?です。
「テレビに映ってたの、あたしんち!」
「おまえは?」
「彼しんちにいたから無事。」
「家族はどうしたの?」
「ヘリコプターで救助されたんだって!」
「家はどうなってんの?」
「一階なんて、柱っきゃ残ってないわよ!」
と、あっけらかんと答えます。
後日談があります。
もちろん、いろいろあったでしょうが、ようやく、家が建て直せて、入居したその日、新潟中越地震が襲ってきました。
彼女、曰く。
「あわてて、買ったばかりのプラズマテレビを押さえたわ!」
このエピソードをどう思ったでしょう?
現実的には、とんでもない悲劇です。
家がなくなり、家族はしばらくの間避難所生活です。
でも、お友達の言葉からは、悲しさも辛さも伝わってきません。
(もちろん、人的な被害がなかったこともありますし、心の中では相当にあると思いますが……)
でも、元気なんです。
ポジティブシンキングなんです。
その時、山古志村で地震を体験した学生も居ます(当時は高校生)。
「山古志村のマリ」という映画を見て、ひとこと。
「現実は、あんなもんじゃないわ!」
前に、物事は中立であると、何度も何度も書きました。
そして、そこから現実を作り出しているのは、私たちのものの見方であり、感じ方であり、そして、何を選択したかと言うことであると、何回か書いてきました。
これを、悲劇として<恐れ>や<怒り>や<嫉妬>という、ネガティブな,マイナスの感情だけを使って捉えることもできます。
でも、その卒業生は、笑い飛ばしちゃったんです。
もちろん、家具も着るものも、思い出のアルバムも、みんな流れてなくなってしまいましたから、相当に困っているはずに違いありません。
でも、ポジティブな面だけを捉えました。
私には、こう伝わりました。
「それをバネに、また、やっていけばいいさ!」
エリザベス・キューブラー・ロスは、死の受容のプロセスをこうまとめました。
今では、医師国家試験にさえ出題されるということも、どこかで書いたと思います。
① 否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
② 怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
③ 取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
何かにすがろうという心理状態である。
④ 抑うつ
なにもできなくなる段階である。
⑤ 受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/エリザベス・キューブラー・ロス)
これは、なにも、病気だけにあてはまるわけではありません。
事故や地震などの天災はもちろん、それ以外の感情的な問題など、何にでも起こる心のプロセスです。
スムーズに行く人もいます。
飛ばしちゃって、いきなり受容できちゃう人もいます。
途中で、止まって、先に進まない人もいます。
でも、なるべく早く、そのプロセスを終わらせてしまうにこしたことはありません。
さて、これまで、どちらかというと50回にもわたって、ネガティブな感情だけに目を向けてきました。
そろそろ、感情の変化に目を向けていきましょう。
「わくわく」し、「ポジティブに考える」。
それだけで、物事が、どのように変化をしていくのか。
一つの例は、いろいろなところで引用されているお題です。
コップに半分のジュース。
・もう、半分になってしまった
・まだ、半分ある
あなたは、どちら?
ですから、とらえ方で、全く違ったものになってきます。
今年の平成23年7月新潟・福島豪雨でも、大きな被害がありました。
いまだに、磐越西線は馬下(まおろしと読みます)から津川までは復旧していません。
これは、ちょっと前の平成16年7月新潟・福島豪雨の出来事です。
こんな、学生さん(卒業生ですが)がいます。
新潟集中豪雨で、家が、完全に流されてしまいました。
普通に考えれば、相当なショックです。
さて、無事を確認しました。
すると、「観た!」ときました。
?です。
「テレビに映ってたの、あたしんち!」
「おまえは?」
「彼しんちにいたから無事。」
「家族はどうしたの?」
「ヘリコプターで救助されたんだって!」
「家はどうなってんの?」
「一階なんて、柱っきゃ残ってないわよ!」
と、あっけらかんと答えます。
後日談があります。
もちろん、いろいろあったでしょうが、ようやく、家が建て直せて、入居したその日、新潟中越地震が襲ってきました。
彼女、曰く。
「あわてて、買ったばかりのプラズマテレビを押さえたわ!」
このエピソードをどう思ったでしょう?
現実的には、とんでもない悲劇です。
家がなくなり、家族はしばらくの間避難所生活です。
でも、お友達の言葉からは、悲しさも辛さも伝わってきません。
(もちろん、人的な被害がなかったこともありますし、心の中では相当にあると思いますが……)
でも、元気なんです。
ポジティブシンキングなんです。
その時、山古志村で地震を体験した学生も居ます(当時は高校生)。
「山古志村のマリ」という映画を見て、ひとこと。
「現実は、あんなもんじゃないわ!」
前に、物事は中立であると、何度も何度も書きました。
そして、そこから現実を作り出しているのは、私たちのものの見方であり、感じ方であり、そして、何を選択したかと言うことであると、何回か書いてきました。
これを、悲劇として<恐れ>や<怒り>や<嫉妬>という、ネガティブな,マイナスの感情だけを使って捉えることもできます。
でも、その卒業生は、笑い飛ばしちゃったんです。
もちろん、家具も着るものも、思い出のアルバムも、みんな流れてなくなってしまいましたから、相当に困っているはずに違いありません。
でも、ポジティブな面だけを捉えました。
私には、こう伝わりました。
「それをバネに、また、やっていけばいいさ!」
エリザベス・キューブラー・ロスは、死の受容のプロセスをこうまとめました。
今では、医師国家試験にさえ出題されるということも、どこかで書いたと思います。
① 否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
② 怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
③ 取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。
何かにすがろうという心理状態である。
④ 抑うつ
なにもできなくなる段階である。
⑤ 受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/エリザベス・キューブラー・ロス)
これは、なにも、病気だけにあてはまるわけではありません。
事故や地震などの天災はもちろん、それ以外の感情的な問題など、何にでも起こる心のプロセスです。
スムーズに行く人もいます。
飛ばしちゃって、いきなり受容できちゃう人もいます。
途中で、止まって、先に進まない人もいます。
でも、なるべく早く、そのプロセスを終わらせてしまうにこしたことはありません。
さて、これまで、どちらかというと50回にもわたって、ネガティブな感情だけに目を向けてきました。
そろそろ、感情の変化に目を向けていきましょう。
「わくわく」し、「ポジティブに考える」。
それだけで、物事が、どのように変化をしていくのか。
一つの例は、いろいろなところで引用されているお題です。
コップに半分のジュース。
・もう、半分になってしまった
・まだ、半分ある
あなたは、どちら?