山田隆文の歯医者さん日記

 山は美しいですね。
 北アルプスの白馬三山です。
 右から、白馬岳、杓子岳、白馬鑓です。
 その手前の八方尾根までには、難所であるキレットがあります。
 でも、山頂に行くまでには、歩いて、7~8時間もかかります。
 そのつらさ、厳しさを経験したものだけが、味わえる美しさなんです。
 山は、お天気ばかりとは限りません。
 山の天気は変わりやすいと言います(女心もでしょうか?)。
 暴風雨や吹雪の山の上は、本当に、凄いですよ!
 真冬のこんな時期に、山頂に立つことができるのは、ほんの限られた人だけです。
 だからこそ、晴れた時のこの光景、美しいんです。
 人生だって、同じなんですね。
 多くの偉人達が居ます。
 伝記を読むと、ものすごい人生を送ってきました。
 その慟哭(どうこく)に、私が絶えられるかと訊かれたら、私だって、尻込みをしてしまいそうです。
 だからこそ、その人の人生は輝いているんですね。
 そんな人たちは何をしたか?
 逃げなかっただけなんですね。
 次々と現れるハードルと格闘して、一つずつクリアしていったんですね。

山田隆文の歯医者さん日記

 さて、私たちの人生を私たち自身の選択が作り出したと言いました。
 でも、誰が悪いのでもありません。
 お父さんとお母さんの育て方が間違っていたのでも、学校の先生の教育方法がおかしかったのでも、会社の上司の指示がとんちんかんだったのでもありません。
 なぜなら、お父さんもお母さんも、学校の先生も、会社の上司も、習ってこなかったからです。
 その頃に、ドロシー・ロー・ノルトさんの「親は子の鏡」なんていう詩はまだありませんでした。
 遣唐使・遣隋使以来の、儒教思想が拡大解釈され、都合の良い部分だけが強調されてきました。
 「子曰く……」なんて、われわれも漢文の授業で、意味も知らずに習ってきました。
 さて、孔子は、もっと意味の深いことを言って居るんです。
 ちゃあんと、わかってました。
 読んだ、後世の人が正しく理解していないだけなんですね。
 孔子さんは、「こうしなさい!」なんて言ってません(笑)!
 人生のお手本を示しただけなんですね。
 論語の中には、その人生の足跡が、しっかりと語られています。

 話が少しそれてしまいました。
 ご両親も、そういった教育を受けてきました。
 そのご両親のご両親も、そういった教育を受けてしました。
 遙か昔まで、延々と繋がります。
 先生だってそうです。
 上司だってそうです。
 そして、複雑な網の目の様に絡み合っています。
 そして、誰も変えようとは思わなかったんですね。
 漸く、グローバルな社会ができました。
 戦後60年以上が過ぎましたが、こんなにも世界中のすべての思想や情報が入ってくる自由な国というのは、21世紀になった現在でも、日本くらいしかないのですね。
 なんと、恵まれた社会なんでしょう。
 これを利用しない手はないですね。
 情報はあります。
 誰かが、気が付けばいいんです。
 そして、それを変えていくのは、ご両親でもなく、先生でもなく、会社の上司でもなく、あなたなんです。

山田隆文の歯医者さん日記

 日本人は、長いこと、ずっと<感情>はあまり外に出してはいけないもの、という固定観念に捕らわれてきています。
 天動説みたいものです。
 もう辞めてしまった某総理大臣さんも例えに使った、ガリレオ・ガリレイの「地球は回っている」という地動説が受け入れられるまでには、非常に長い時間が必要でした。
 ローマ法王が認めたのは、人類が月に行く時代になっても相当の時間の経った、つい、最近ことですね。
 そして、長年にわたって、代々受け継がれて来てしまったのですね。
 さらに、最近は、核家族化が進んでいます。
 子育ての見本もありません。
 子供も、ガキ大将が消滅して久しいですから、上下の関係ではなくて、横の関係しか知りません。
 昔は、ガキ大将が、下は乳飲み子まで集めて、面倒を見て遊んだものです。
 みんな、喧嘩ばっかりしていました。
 と、どこまで喧嘩をしていいか、どこで止めなきゃいけないかを、経験的に学んできていたんです。
 そして、これが受け継がれました。
 今は、ファミコンやプレステやXボックスの世界です。
 バーチャルな架空の世界でいくら敵をやっつけても、自分が傷つくことはありません。
 とっくみあいの喧嘩なんて、最近は見たことがありません。
 さて、では、誰が、間違った概念を打ち切るかですね。
 やっぱり、私たちなんですね。

 もう少し、感情とのとっくみあいにお付き合いください。