二つの結末があります。
よく、高齢者の施設にも伺います。
介護保険の二次審査の仕事もしていました。
と、介護保険のアセスメント項目に、こんなのがあります。
「介護に抵抗する」「暴言を吐く」
如何でしょう?
本当に、世の中に<憎悪>を向けるお年寄りが居ます。
「歯磨きしましょうね」と言っても、口をしっかり閉じて、ぷいっとあっちを向いてしまいます。
世の中、そんなに、面白くないんでしょうか?
世の中に、<怒り>を感じて居るんでしょうか?
他の人は、受け入れられないんでしょうか?
という、選択もあります。
もう一つの選択です。
そのお年寄りは、いつも、にこにこしています。
歯磨きなどをすると、「有難う」と言ってくれます。
きっと、いい世の中なんですね。
世の中は、楽しいんですね。
あなたなら、どちらを選びますか?
ドロシー・ロー・ノルトさんの「親は子の鏡」という詩が話題になりましたね。
http://books.rakuten.co.jp/rb/子どもが育つ魔法の言葉-ドロシー・ロー・ノルト-9784569660233/item/1589813/
「子供が育つ魔法の言葉」という本の冒頭にある詩です。
まさに、私の言いたいこととのすべてが書かれています。
教えると言うことは、ただ単に、指導や教育をすればいいのではありません。
やはり、私たち自身が、身をもってお手本を見せなくてはなりません。
優しさを教えるには、優しさを持ってしかできないのですね。
「優しくしなさい」と、厳しさをもって教えることはできません。
厳しさを教えるにも、厳しさを持って教えるしかありません。
「厳しくしなさい」と、優しさを持って教えることはできないのです。
火の熱さを教えるのに、いくら、言葉を重ねても教えることはできません。
やはり、野口英世さんの様にはならない程度に、触ってみて、熱いんだと言うことを知らなくてはなりません。
感情だって、同じです。
全部の感情を感じて、体験して、ぶつかり合い、そして、対応法を学んでいきます。
さあ、感情を素直に感じることを拒み続けてきた人がいます。
どんな、おじいちゃん、おばあちゃんになるのでしょうか?
一方で、感情を素直に感じてきた人がいます。
きっと、にこにこして、かわいがられるに違いありません。
私事ですが、私のおばあちゃんはそうでした。
脳溢血を起こして、倒れて、すこしぼけてきても、「おばあちゃんの笑顔が見たいんだよね」と、いつも、お客さんが絶えませんでした。
昔、丸大ハムのこんなCMがありましたね。
「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」
最近は、リポビタンDでしょうか?
「ファイト、一発!」です。
<感情>も同じですね。
<感情>を知るためには、<感じてみる>しかありません。
残念ながら、言葉を尽くしても、教えることはできません。
花の美しさを知るのに、いくら、写真で見ても、そのかぐわしい香りやたおやかさまでは、伝わってきませんよね。
日の光、土の香り、風に揺れる様、蜜を求めて飛ぶ蜂など、すべての感覚が総動員されて、感じるもなんですね。
人生だって、同じだとは思いませんか?