さて、ここで、ネガティブな感情をもう一度整理してみましょう。
<恐れ>や<怒り>や<嫉妬>は、ほんとうにネガティブな感情なんでしょうか?
<恐れ>は、生命の危険を察知する能力でした。
<怒り>は、生命の危険に対する防御の基本的な方法です。
そして、<嫉妬>は、他人と比べることで、自分自身のスタンスを知るための方法です。
これは、私たちが生きていくために必要な感情です。
<恐れ>も<怒り>も<嫉妬>も感じないとしたら。
動物だって感じるんですから、もう、廃人ですね!
問題は、感情がコントロールされているかどうかなんです。
禅僧がお茶碗から溢れさせた感情も、ダース・ベーダーのように暴走した感情も、駄目なんです。
では、なぜ、コントロールできないんでしょう。
やはり、禅から、面白い話をします。
二人のお坊さんが修行の旅をしていました。
と、増水した河の前で、若い女性が渡れずに困っていました。
ひとりのお坊さんは、その女性をひょいと抱きかかえて、河を渡してあげました。
そして、二人はしばらく旅を続けています。
と、もうひとりのお坊さんが言いました。
「我々は、仏門に入って修行の身。女性を抱きかかえるなんて……!」
もうひとりのお坊さんは、にっこり笑いました。
「君は、まだ、さっきの女性を抱いていたのかい?」
「ああ」と、わかった人は、もう大丈夫です。
仏像も、OKマークを出していますね(笑)。
さて、私たちは、今の現実を選択して、自分自身で作り出しているのだ、と書きました。
一つの例があります。
ごはんです。
これは、高野山の宿坊で食べた精進料理ですが……。
精進料理ですので、やはり、禅のお話です。
<嫉妬>のデビルに通じるお話です。
山本鈴美香さんの「エースをねらえ」でも紹介されているお話なので、ご存じの方も多いでしょう。
丁度、もうすぐお盆で、地獄の釜の蓋が開くと言われていますので、ぴったりのお話かもしれません。
<執着>のお話です。
地獄にでは、餓鬼たちがいつも飢えています。
でも、大きなお皿に山盛りの御馳走が並んでいます。
そこには、1メートルもある長いお箸がありました。
餓鬼たちは、長い箸で御馳走を食べようとするのですが、どうしても、口には届きません。
ですから、やっぱり、いつも飢えているんです。
一方、天国にも、同じ大きなお皿に山盛りの御馳走と、長い箸がありました。
でも、天国の住人たちは、いつも満腹で、にこにこしていました。
なぜなら、天国の住人たちは、同じ箸で、御馳走をお互いに向かい合った人に食べさせていたからなんですね。
もうひとつ、「ああ」ときましたか?
天国も地獄も、私たちに見えない別の異次元の世界にあるのではないんですね。
天国も地獄も、そして、私たちが生きている現実も、今、まさに、この時間のここにあるのですね。
砂糖です。
らくがんというおかしですね。
美味しいので、大好きです。
さて、もう一つお話をしましょう。
このお菓子は、ポジティブでしょうか、ネガティブでしょうか?
お菓子は、どちらでもありませんね。
それに意味を見いだすのは、私たち自身だからです。
私の専門の、虫歯予防という意味で考えたらどうでしょうか?
砂糖は、虫歯菌の大好物で、歯垢を作り、酸で虫歯を作ったり、バイ菌の毒素で歯槽膿漏を作り出します。
まったくの、悪魔です。
日本だって、宣教師が織田信長にこんぺいとうを献上するまでは、精製した砂糖なんて無かったんです。
モンゴルでは、普段の食事は羊の肉や山羊や馬の乳でしたから、虫歯なんてものは、ほとんど無かったんです。
で、ウランバートルにコンビニもできるようになって、アイスクリームが大流行だそうです。
途端に、虫歯の大流行が始まりました。
まさに、悪魔の仕業ですね。
一方で、糖尿病の人がいます。
確かに、飽食生活のあげくになってしまった自業自得の人もいますが、最近では、小児の糖尿病など、本当に困っている人も多いのですね。
そんな人たちは、血糖値を維持すると言うことが重要です。
低血糖になると、発作を起こして、意識を失ってしまうこともあります。
ですから、砂糖のかたまりやあめ玉を持ち歩いて居るんです。
まさに、天の助けですね。
私の好きな山歩きの時だって、甘いものは、疲労回復の重要な非常食です。
さて、もう一度考えてみます。
砂糖は、善玉ですか、悪玉ですか?
もう一度、「あっ!」と気が付いてくれましたか?
これが、選択です。
物事は、中立であると、何度も書いたかと思います。
それを、どう捉えるかで、極楽にも地獄にもなるんです。
人は、学ぶ機会を与えられています。
何を選択するかは、自由です。
もちろん、選択しないで、逃げるのも自由です。
そして、どんな選択をしても、すべて正解です。
間違いはありません。
その選択肢の中で、私たちは、何かを経験します。
私は、大学院の時には、がん遺伝子なんてのを研究していましたので、2年ほど、築地にある国立がんセンターの研究所で研修をさせていただきました。
そのときに、当時の部長の寺田雅昭氏に言われた言葉です。
「無駄は必要である。
でも、無意味はいけない」
おわかりでしょうか?
選択をした。
失敗だと思った。
では、そこから逃げる?
それとも、そこから何かを学び取る?
そうしなければ、前に進みません。
きっとまた、同じところで、躓くでしょう。
最近、始めたボルダリング。
クリアできるまで、何度も何度も、同じルートを攻めます。
何度も、手が滑り、無理な体勢で足が届かず、手の力がなくなって落ちます。
でも、登ります。
最後まで登れた時の爽快感。
人生だって、同じではないでしょうか?
もちろん、一番始めの写真にも意味があります。
みくりが池に映る立山です。
「鏡」です。
ここに、自分の感情をクリアにする極意があります。
でも、聡明な皆さんは、もう、お気づきですね。