面白い英語表現がありました。
<デビルdevil>です。
非常に面白いところでは、悪魔を意味するデビル<devil>と言う言葉があります。
最近でも、<エンドオブデイズ>という、アーノルド・シュワルツェネッガーが悪魔とミレニアムを賭けて戦うヒット映画がありましたね。
<devil>の語源はギリシャ語のディアボロス<diabolos>に遡ります。
キアヌ・リーブス扮する敏腕弁護士が徐々に悪魔扮する偽弁護士の術中にはまって行き、最後に悪魔の手を逃れるのですが、やはり、最終的には悪魔の手の内で踊っていたという<ディアボロス>という恐い映画もありましたね。
<diabolos>は70人訳ギリシャ語聖書のなかで<サタン>を意味します。
字義は<中傷する人><中傷的な>という意味で、<diabolos>は語源をさらに遡ると<diaballein(人の性格を避難する)>と言う意味です。
<dia>は<通過する><分離する>という意味で、<ballein>は<投げる>という意味です。
つまり、悪魔は、人と人との信頼関係という結びつきを<分離>して<投げる>存在なのですね。
確かに悪魔の常套手段は人に<不安>や<猜疑心>を抱かせて、ネガティブな世界に引きずり込むことですね。
悪魔そのもののルーツは、同じ神から創られた天使なんですが、神が人間ばかり可愛がるので<嫉妬>して、堕天使になったのですね、という説もあります。
同時に、私たちが<嫉妬>を感じるときには、二つの考え方があることを思い出してください。
先に<見栄を張る>という表現をしましたが、自分を自分よりも優れたものに真似て似せようとする場合があります。
これは、自分自身をそこまで引き上げて、実力が伴うものであれば、<情熱>となり、ポジティブな意味になりますが、多くの場合は、相手を引きずり降ろすというネガティブな行動に出ます。
悪魔たちは、神に可愛がられる人間たちを、自分たちのいる地獄に引きずり降ろすことで、<嫉妬>心を満足させるのですね。
あなたが、どちらの方法を使うかは、あなた次第です。
もちろん、これも、人生の選択で。
できれば、あまり、悪魔さんとはお友達になりたくありませんので、良い方向に使いたいですね。
<嫉妬>から派生する<感情>についても考えてみましょう。
何故か、ネガティブな表現の<感情>は日本語英語を問わず、ものすごい数が出てきます。
<切ない>
<切ない>と言う<感情>はどんな感じでしょうか?
やはり、<悲しみ>などで胸が締め付けられるようなとき、物事がうまく行かないときに感じますね。
エネルギー量が多いときには、このエネルギーは<怒り>として発散されます。
でも、<怒り>のエネルギーが枯渇してきたときや、相手が強すぎてどうしようもないときには、<切なさ>を感じます。
<辛い>
<辛い>という状態は、<苦しい>状態であり、<むごい>状態です。
適切な表現ではありませんが、拷問などが続いて、<痛み>などがずっと続いている状態ですね。
山登りが<辛い>のは、息が切れて、筋肉が<痛い>からですね。
<苦しい><腹立たしい><しゃくにさわる>そして<忍耐ぎりぎりの><胸の張り裂けるような><悲痛な>などなどなど。
<misery>は<ミザリー>と言う映画もありましたが、精神を打ちのめすような、持続的な肉体や精神的な<苦痛><惨めさ>です。
<悲しみ>
<sadness>は何かの原因によるか、または何ということもなく<沈んだ><悲しい><気持ち>ですが、一時的な<嘆き>から、その<悲しみ>によって<気力>まで失われてしまった状態をも含んでいます。
<woe>は文語的表現で、非常に深い<苦悩><悲痛>です。
それ意外にも、まだまだ、<悔しい><いらいらする><不満><敵意><悪意><恨み><悲哀><寂しい><淋しい><無力感><喪失感><懐疑心><羞恥心><恥ずかしい><空しさ><虚しさ><失望感><絶望感>〈哀れな〉〈惨めな〉<罪悪感><後悔><自責の念><悲観><罪滅ぼし><むかつく><憎しみ><心配><気掛かり><開き直る><拒否><倦怠><諦める><苦痛><苦悩><しんどい><惨め>……
と、山のように出てくるんです。
すべてを解説していると、なかなか、先へ進みませんので、ここでは、省略して、後で機会をみて触れたいと思います。
さて、この写真は神田明神です。
銭形平次で有名ですが、平将門を奉っているというのはご存じでしょうか?
将門は東北地方(当時の蝦夷)の豪族でしたが、大和朝廷にたてついたために、オオムカデ退治で有名な俵藤太に打たれたのですね。
その恨みで、首だけになっても襲いかかったとされています。
今でも、大手町に首塚があります。
まさに、<恐れ>と<怒り>と<嫉妬>の化身ですね。
ということで、なぜか、日本人は、祟られないように、神様にしてしまうのですね。
菅原道真もおんなじですね。
先ほどの、悪魔の例とは、全く逆です。
面白いですね。
<デビルdevil>です。
非常に面白いところでは、悪魔を意味するデビル<devil>と言う言葉があります。
最近でも、<エンドオブデイズ>という、アーノルド・シュワルツェネッガーが悪魔とミレニアムを賭けて戦うヒット映画がありましたね。
<devil>の語源はギリシャ語のディアボロス<diabolos>に遡ります。
キアヌ・リーブス扮する敏腕弁護士が徐々に悪魔扮する偽弁護士の術中にはまって行き、最後に悪魔の手を逃れるのですが、やはり、最終的には悪魔の手の内で踊っていたという<ディアボロス>という恐い映画もありましたね。
<diabolos>は70人訳ギリシャ語聖書のなかで<サタン>を意味します。
字義は<中傷する人><中傷的な>という意味で、<diabolos>は語源をさらに遡ると<diaballein(人の性格を避難する)>と言う意味です。
<dia>は<通過する><分離する>という意味で、<ballein>は<投げる>という意味です。
つまり、悪魔は、人と人との信頼関係という結びつきを<分離>して<投げる>存在なのですね。
確かに悪魔の常套手段は人に<不安>や<猜疑心>を抱かせて、ネガティブな世界に引きずり込むことですね。
悪魔そのもののルーツは、同じ神から創られた天使なんですが、神が人間ばかり可愛がるので<嫉妬>して、堕天使になったのですね、という説もあります。
同時に、私たちが<嫉妬>を感じるときには、二つの考え方があることを思い出してください。
先に<見栄を張る>という表現をしましたが、自分を自分よりも優れたものに真似て似せようとする場合があります。
これは、自分自身をそこまで引き上げて、実力が伴うものであれば、<情熱>となり、ポジティブな意味になりますが、多くの場合は、相手を引きずり降ろすというネガティブな行動に出ます。
悪魔たちは、神に可愛がられる人間たちを、自分たちのいる地獄に引きずり降ろすことで、<嫉妬>心を満足させるのですね。
あなたが、どちらの方法を使うかは、あなた次第です。
もちろん、これも、人生の選択で。
できれば、あまり、悪魔さんとはお友達になりたくありませんので、良い方向に使いたいですね。
<嫉妬>から派生する<感情>についても考えてみましょう。
何故か、ネガティブな表現の<感情>は日本語英語を問わず、ものすごい数が出てきます。
<切ない>
<切ない>と言う<感情>はどんな感じでしょうか?
やはり、<悲しみ>などで胸が締め付けられるようなとき、物事がうまく行かないときに感じますね。
エネルギー量が多いときには、このエネルギーは<怒り>として発散されます。
でも、<怒り>のエネルギーが枯渇してきたときや、相手が強すぎてどうしようもないときには、<切なさ>を感じます。
<辛い>
<辛い>という状態は、<苦しい>状態であり、<むごい>状態です。
適切な表現ではありませんが、拷問などが続いて、<痛み>などがずっと続いている状態ですね。
山登りが<辛い>のは、息が切れて、筋肉が<痛い>からですね。
<苦しい><腹立たしい><しゃくにさわる>そして<忍耐ぎりぎりの><胸の張り裂けるような><悲痛な>などなどなど。
<misery>は<ミザリー>と言う映画もありましたが、精神を打ちのめすような、持続的な肉体や精神的な<苦痛><惨めさ>です。
<悲しみ>
<sadness>は何かの原因によるか、または何ということもなく<沈んだ><悲しい><気持ち>ですが、一時的な<嘆き>から、その<悲しみ>によって<気力>まで失われてしまった状態をも含んでいます。
<woe>は文語的表現で、非常に深い<苦悩><悲痛>です。
それ意外にも、まだまだ、<悔しい><いらいらする><不満><敵意><悪意><恨み><悲哀><寂しい><淋しい><無力感><喪失感><懐疑心><羞恥心><恥ずかしい><空しさ><虚しさ><失望感><絶望感>〈哀れな〉〈惨めな〉<罪悪感><後悔><自責の念><悲観><罪滅ぼし><むかつく><憎しみ><心配><気掛かり><開き直る><拒否><倦怠><諦める><苦痛><苦悩><しんどい><惨め>……
と、山のように出てくるんです。
すべてを解説していると、なかなか、先へ進みませんので、ここでは、省略して、後で機会をみて触れたいと思います。
さて、この写真は神田明神です。
銭形平次で有名ですが、平将門を奉っているというのはご存じでしょうか?
将門は東北地方(当時の蝦夷)の豪族でしたが、大和朝廷にたてついたために、オオムカデ退治で有名な俵藤太に打たれたのですね。
その恨みで、首だけになっても襲いかかったとされています。
今でも、大手町に首塚があります。
まさに、<恐れ>と<怒り>と<嫉妬>の化身ですね。
ということで、なぜか、日本人は、祟られないように、神様にしてしまうのですね。
菅原道真もおんなじですね。
先ほどの、悪魔の例とは、全く逆です。
面白いですね。