って、それが結構難しい。
これは、高野山の風景。
では、いっそのこと、俗世間を捨てて、出家してしまえば、そういった煩わしい問題をすべて解決できるのでしょうか?
そんなことはないですね。
それは、問題から、ただ、逃げているだけですね。
また、感情とどうつきあうかと言うところで、詳しく述べたいと思いますが、私たちは、自分の心の中のブラックボックス(まあ、もう使わないがらくたなんかを詰め込んでしまった、二度と開きたくない押し入れみたいものです)を一度整理しなくてはなりません。
そうすることで、必要なものと、もう必要のないもを、選ぶことができます。
心の断捨離です。
禅僧の話のように、いらないものを捨てることによって、お茶碗を空にすることができます。
新しい、知識を入れることができます。
同じようなことが、キリスト教にもあります。
ラクダが針の穴を通るようなものだと言います。
多くのものを持ちすぎていると、いけないのですね。
そして、持っているものの多くは、もう、いまは必要のないものを、後生大事に抱え込んでいるのです。
両手に背中に、沢山の荷物を背負っておいて、「重い、重い」と苦しんでいるのです。
捨てるものは、物理的なものではありません。
もう、捨てても良い、過去の嫌な感情ですね。
でも、私たちは、執着しています。
なぜか、そういったものに限って、必至で握りしめています。
アナキン・スカイウォーカーの恐れに起因した執着心が、ダースベーダーを生み出したのです。
では、究極のテクニックです。
「手放して下さい」
それだけです。
こんなゲームがありますね。
商店街の抽選などで、つかみ取り大会があります。
小さい入り口から手を突っ込んで、つかめるだけのものをあげますよ。
と、沢山つかみすぎて、手が引き抜けません。
私たちは、いったい、何をつかんでいるのでしょう?
では、そう簡単に手放すことができるのでしょうか?
つかみ取り大会なら、執着心は小さいかもしれませんね。
でも、私たちがつかんでいるものはなんなんでしょう?
実は、多くのものは、つかんでいることを忘れてしまったのです。
座禅を組んだことのある人がいるでしょうか?
座禅では「無心になりなさい」と言います。
果たして、できるでしょうか?
考えまい、考えまいとすればすえるほど、雑念が、どんどん、わき上がってきます。
それも、どうだっていいことばかりです。
さあ、その中のひとつの雑念にちょっと興味がわいてしまいました。
とたんに、和尚さんの厳しい一発が肩に飛んできます。
面白いですね。
捨てよう、捨てようと思えば思うほど、捨てられなくなります。
みなさんも、こんな経験をしたことはあると思います。
寝ようと思って、テレビも電気も消して布団に入った瞬間に、いろいろな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えて、寝れなくなってしまった。
お坊さんだって難しいに、俗世間の私たちは……!
さあ、それでは、どうしたらいいんでしょう?
面白い童話をご存じでしょうか?
松谷みよ子さんの書かれた「まえがみ太郎」というお話です。
http://www.amazon.co.jp/まえがみ太郎-偕成社のAシリーズ-1-松谷-みよ子/dp/4035250104/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1312715114&sr=8-1
松谷みよ子さんは、「龍の子太郎」や「二人のイーダ」などで非常に有名な作家です。
ある村に、どうどの山という火山がありました。
その火山が今にも噴火しそうで、まえがみ太郎がその山を調べに行ったのです。
と、噴火口の洞窟の中で、火の鳥がもだえ苦しんでいたのです。
いつしか飛べなくなって、飛びたくてもがいていると、お山が噴火するのだと。
そして、火の鳥が言います。
「もし、飛び立つ方法を教えてくれれば、この山を去るから、おまえの村にも迷惑をかけないだろう」と。
まえがみ太郎は、火の鳥が飛べなくなった原因を探して諸国を旅します。
鬼の親子に出逢ったり、山が見たいと遡ってきた河で動けなくなったクジラを海に帰したりしながら、ついに火の鳥の飛べない理由を見付けたのです。
火の鳥は、重い黄金の山に目がくらんで、どうどの山に降りたのです。
そして、足で黄金を握りしめたまま、その箱を持っていることを忘れてしまったのです。
箱を放した火の鳥は、太郎に礼を言って天に還っていきます。
火の鳥が宝の箱の中で握りしめていたものはいったい何だったのでしょうか?
私たちも、両手に脇の下に背中にポケットにと、たくさんの荷物を背負って、「重い、重い」と言いながら人生を歩いているのですね。
そして、その荷物をいつから持っているかさえ、忘れてしまっています。
だから、荷物そのものを忘れてしまっています。
本当にすべてが必要なのでしょうか?
もう、必要のないものもある筈なのですね。
こんな表現をした人がいました。
私たちは、思いアクアラングを付けて、ものすごい水圧の深い海底を歩いているようなものだって。
海の上には、明るい太陽があるんですよね!
実は、このBLOGの目的は、<感情>というキーワードを手がかりに、重い荷物を整理することにあるのです。
それは、まさに<感情>こそが、私たちの閉ざされた心の扉を開く鍵だからなのです。
執着を捨てると言うことは、非常に楽になります。
肩の荷が下りるとは、よく言ったものです。
前の、「おまえなんか嫌い」といったおばあちゃんも、そのまま受け入れることができるようになるんです。
少し、理解の手助けになりましたでしょうか?
これは、高野山の風景。
では、いっそのこと、俗世間を捨てて、出家してしまえば、そういった煩わしい問題をすべて解決できるのでしょうか?
そんなことはないですね。
それは、問題から、ただ、逃げているだけですね。
また、感情とどうつきあうかと言うところで、詳しく述べたいと思いますが、私たちは、自分の心の中のブラックボックス(まあ、もう使わないがらくたなんかを詰め込んでしまった、二度と開きたくない押し入れみたいものです)を一度整理しなくてはなりません。
そうすることで、必要なものと、もう必要のないもを、選ぶことができます。
心の断捨離です。
禅僧の話のように、いらないものを捨てることによって、お茶碗を空にすることができます。
新しい、知識を入れることができます。
同じようなことが、キリスト教にもあります。
ラクダが針の穴を通るようなものだと言います。
多くのものを持ちすぎていると、いけないのですね。
そして、持っているものの多くは、もう、いまは必要のないものを、後生大事に抱え込んでいるのです。
両手に背中に、沢山の荷物を背負っておいて、「重い、重い」と苦しんでいるのです。
捨てるものは、物理的なものではありません。
もう、捨てても良い、過去の嫌な感情ですね。
でも、私たちは、執着しています。
なぜか、そういったものに限って、必至で握りしめています。
アナキン・スカイウォーカーの恐れに起因した執着心が、ダースベーダーを生み出したのです。
では、究極のテクニックです。
「手放して下さい」
それだけです。
こんなゲームがありますね。
商店街の抽選などで、つかみ取り大会があります。
小さい入り口から手を突っ込んで、つかめるだけのものをあげますよ。
と、沢山つかみすぎて、手が引き抜けません。
私たちは、いったい、何をつかんでいるのでしょう?
では、そう簡単に手放すことができるのでしょうか?
つかみ取り大会なら、執着心は小さいかもしれませんね。
でも、私たちがつかんでいるものはなんなんでしょう?
実は、多くのものは、つかんでいることを忘れてしまったのです。
座禅を組んだことのある人がいるでしょうか?
座禅では「無心になりなさい」と言います。
果たして、できるでしょうか?
考えまい、考えまいとすればすえるほど、雑念が、どんどん、わき上がってきます。
それも、どうだっていいことばかりです。
さあ、その中のひとつの雑念にちょっと興味がわいてしまいました。
とたんに、和尚さんの厳しい一発が肩に飛んできます。
面白いですね。
捨てよう、捨てようと思えば思うほど、捨てられなくなります。
みなさんも、こんな経験をしたことはあると思います。
寝ようと思って、テレビも電気も消して布団に入った瞬間に、いろいろな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えて、寝れなくなってしまった。
お坊さんだって難しいに、俗世間の私たちは……!
さあ、それでは、どうしたらいいんでしょう?
面白い童話をご存じでしょうか?
松谷みよ子さんの書かれた「まえがみ太郎」というお話です。
http://www.amazon.co.jp/まえがみ太郎-偕成社のAシリーズ-1-松谷-みよ子/dp/4035250104/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1312715114&sr=8-1
松谷みよ子さんは、「龍の子太郎」や「二人のイーダ」などで非常に有名な作家です。
ある村に、どうどの山という火山がありました。
その火山が今にも噴火しそうで、まえがみ太郎がその山を調べに行ったのです。
と、噴火口の洞窟の中で、火の鳥がもだえ苦しんでいたのです。
いつしか飛べなくなって、飛びたくてもがいていると、お山が噴火するのだと。
そして、火の鳥が言います。
「もし、飛び立つ方法を教えてくれれば、この山を去るから、おまえの村にも迷惑をかけないだろう」と。
まえがみ太郎は、火の鳥が飛べなくなった原因を探して諸国を旅します。
鬼の親子に出逢ったり、山が見たいと遡ってきた河で動けなくなったクジラを海に帰したりしながら、ついに火の鳥の飛べない理由を見付けたのです。
火の鳥は、重い黄金の山に目がくらんで、どうどの山に降りたのです。
そして、足で黄金を握りしめたまま、その箱を持っていることを忘れてしまったのです。
箱を放した火の鳥は、太郎に礼を言って天に還っていきます。
火の鳥が宝の箱の中で握りしめていたものはいったい何だったのでしょうか?
私たちも、両手に脇の下に背中にポケットにと、たくさんの荷物を背負って、「重い、重い」と言いながら人生を歩いているのですね。
そして、その荷物をいつから持っているかさえ、忘れてしまっています。
だから、荷物そのものを忘れてしまっています。
本当にすべてが必要なのでしょうか?
もう、必要のないものもある筈なのですね。
こんな表現をした人がいました。
私たちは、思いアクアラングを付けて、ものすごい水圧の深い海底を歩いているようなものだって。
海の上には、明るい太陽があるんですよね!
実は、このBLOGの目的は、<感情>というキーワードを手がかりに、重い荷物を整理することにあるのです。
それは、まさに<感情>こそが、私たちの閉ざされた心の扉を開く鍵だからなのです。
執着を捨てると言うことは、非常に楽になります。
肩の荷が下りるとは、よく言ったものです。
前の、「おまえなんか嫌い」といったおばあちゃんも、そのまま受け入れることができるようになるんです。
少し、理解の手助けになりましたでしょうか?