感動すると、簡単に書きました。
感動って何でしょうか?
すみません。
これを、言葉で伝えることはできません。
なぜなら、経験したことのない感情を、他人に伝えるなんてことは、難しいことだからです。
どんなに、言葉を重ねても、やはり、感動を伝えることは難しいと思います。
時々、山に登ります。
今年のお盆休みも、どこへ行こうかと、現在、計画中です。
良い写真が撮れたら、また、ブログで紹介しましょう。
とは言っても、あちこち出歩いて、普段、仕事をしている時にはできないことや、行けないところを散歩を楽しんでいます。
時間があるというのも、また、感動です。
こんな風景に出逢います。
五月の連休です。
夜の間に雪が降って、まだ、誰も踏み入れていない、北アルプスの夜明けです。
刻々と色彩が変化していきます。
でも、写真という2次元の中にとどめておくことは非常に難しいのです。
さて、ホルモンというものをご存じですね。
体の中に微量に流れて、成長や発育などをコントロールしている生体物質です。
この、ホルモンには、レセプター(受容体)があります。
どんなに沢山ホルモンを出しても、この、受容体がきちんと無いと、ホルモンは働きません。
心もおんなじです。
いろいろな感情を伝えるものがいくらあっても、それを、受け入れるためのレセプター(受容体)が無ければ反応できません。
その、受容体を育ててきたものが、生まれてこれまでのすべての経験であったのですね。
でも、今からでも遅くないんです。
心が、ハートが、じ~~んとする何かを、探して下さい。
感受性は個人個人みな違います。
本かもしれませんし、映画かもしれませんし、テレビドラマかもしれませんし、大自然かもしれませんし、ふとした時に足下のアスファルトの隙間にに咲いている一輪の雑草かもしれません。
なんでもいいんです。
少しずつでいいんです。
心の成長は、体の成長と違って、止まることはありません。
一生を掛けて、ハートの探究をしていくことが、経験したことのない感情をひとつずつ経験していくことこそが、私たちの成長に他ならないからですね。
もし、全部、経験して悟ってしまったら、それは、お釈迦様かイエス・キリストの世界です。
私だって、まだまだ、未熟者です。
多くの人は、心の平穏を求めています。
私だっておんなじです。
時々、「ああ、やられた!」と言う感じで、心をぐさっと突き刺されます。
ちょっとした言葉遣い、行動などが、良かれと思っていたのに、思いもよらない逆撃を受けてしまうこともよくあります。
入れ歯を治しに行っている施設で、突然、近寄ってきた車いすの別のおばあちゃんに指差されて、こう言われました。
「おれ、おめえ、きれえだ!」
じ~~んではなくて、ずきっと来ました。
ハートに鋭い矢が刺さったように、痛みが走ります。
その日、なんでそんなことを言われたのか、ずっと考えていました。
でも、答えはまだ出ていません。
でも、ちょっとだけ、気が付きます。
私が発している、ちょっとした何気ない言葉でも、ちょっとした行動でも、受け取り方によっては、同じように傷ついてしまっている人もいるかもしれません。
ということで、私も、まだまだ、未熟者です。
まだまだ、そぎ落としていかなくてはならないとげとげがたくさんあるのでしょう。
でも、感情を調べていく中で、どう対処をしていけばいいのか、皆さんより、ほんのちょっとだけ知識がありますので、それを、紹介していきたいと思います。
では、休みの間に、座禅でも組に行きますか(笑)。
http://www.amazon.co.jp/平常心―激動期を生き抜く心の500語-トクマブックス-尾関-宗園/dp/4195012465/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1312678399&sr=8-2
大徳寺大仙院の尾関宗園和尚の書かれた本です。
78歳(会ったのは昨年ですので、79歳?)だそうです。
高校時代に、修学旅行で、この本に出逢いました。
今でも、その内容は、新鮮です。
なぜなら、真実は時代を超えて真実だからです。
真実のバブルも、サブプライムローンもありません。
為替や株のように、架空取引きもできません。
はったりでは、真実は語れないのですから。
大仙院の壁に掛けられていたものです。
再掲します。
「自主トレ人生
やればできる、必ずできる
何事もまずやってみる
うまくいくまでやってみる
それでもうまくいかなければ考えてみる
あきらめずに考えていると
寝ている間にでも
ふとよい考えがわいてくることもある
それでもうまくいかなければ
親や先生に聞いてみる
あきらめなければ必ずできる」
いかがでしょう。