人生とは、長い廊下のようなものだろうか?
それとも、山登り?
多くの賢人が、様々な表現をしてきた。
どれも真実であり、それも、その真実の側面をそれぞれの方向から表現している。
私は、悩みを持ってきた学生に、こんな風に言っている。
「人生には、ちょうど良いハードルが用意されているよ」
そして、そのハードルの高さは、「ダメだ!」と思える限界よりも、ほんのちょっとだけ高い。
選択するのは自分自身である。
そして、二つの選択がある。
・飛ぶか
・飛ばないか
飛ばないという選択は、逃げである。
ところが、人生は、良くできている。
どこへ逃げても、同じようなハードルが、逃げた先々で用意されている(笑)。
ロールプレイイングゲームのダンジョン(入り組んだ迷路)である。
ある卒業生である。
就職先に満足できない。
辞める。
次の就職先はきっといいに違いないと思う。
隣の芝生は青く見えるのだ。
隣のテーブルで食べている料理は、美味しそうに見えるのだ。
でも、いざ、就職してみると、同じような問題にぶち当たる。
そして、また辞める。
次の就職先にも、同じような試練が待ち受けている。
その次も、その次も……。
だって、人生はゲームである。
1面のラスボスをクリアしないと、次の面には行けないのだ!
もちろん、飛べるかもしれない。
飛べない事もある。
飛べたら、次のステップである。
その試練は、卒業である。
じゃあ、トライしたけど、飛べなかったらどうする?
また、選択である。
・やめる
・がんばって、もう一度チャレンジする
一度、子どもの頃を思い出して欲しい。
逆上がりや、自転車やスキー(私は40過ぎてボードを始めたが!)。
始めから、簡単にできただろうか?
何回も、何回も失敗をして、徐々に上達をして、そして、最後に出来るようになったときの達成感は、なんとも言えなかったと思う。
私の趣味のパラグライダー。
始めて、自分の機体を持つと、きれいに拡げて、風に正対して、立ち上げる(ライズアップ)。
ベテランには簡単である。
風の強さや方向を、微妙なライン(グライダーを釣っているひもである)の加重を判断して、微調整が出来る。
自転車だって、反射的に反応している。
でも、強風に吹き飛ばされ、引きずられ、うまくいったと思ったら風が舞い、飛んだと思ったら無風になってヤブに突っ込む!
その繰り返しでうまくなる。
はじめて、スノボードをやったときには、たぶん、100回以上はこけている。
翌日の、大胸筋と腹筋の痛みといったら!!!!
前にも書いた。
子どもの頃には、失敗が許された。
でも、大人になったら、どうして、失敗が許されないのだろう。
私たちは、失敗から学んで、成長していくのに。
そして、自分の失敗は容認できても、どうして、他人の失敗が許されなくなってしまうのだろう。
でも、クリアしたときの、喜びはなにものにも代えられない!
クリアしたものだけに与えられた特権だ!
他人の褌で相撲をとっている、はったり人生の人には、どんなに頑張っても感じられない喜びである。
さあ、目の前にハードルがある。
あなたは、どうしますか?