感情の分類方法はいろいろありますが、より原始的な、より基本的な感情から話を進めていくのがいいと思います。
一つめの感情は<恐れ>です。
怖い・恐怖です。
<恐れfear>というのは、私たち、生命体のもっとも基本的で原始的な<感情>です。
<恐れ>は、<危険danger>に際して、私たちの生命そのものを守る役割をしている非常に重要な<感情>なのです。
私たちが何らか<危険>に晒されたとき、自分たちの生命を守る最も確実な方法は、その<危険>を発生させるものから一刻も早く遠ざかることなのです。
原始の時代、狂暴な肉食獣に出逢ったら、私たちは追手に帆掛けて脱兎のごとく逃げ出します。
突然の物音に<驚くsurprise>とか、ボールが飛んでくると、とっさに身を避ける、などという反応は、明らかに<危険>回避行動ですね。
見知らぬ人が近づいたときに犬が吠えるのもそうですし、手を差し伸べても猫がさっと逃げてしまうのもそうです。
動物達が、初めて見る人間を避けるのは、未知なるものへの警戒であり、<恐れ>なのです。
こう言った<恐れ>は、未知なるものが既知なるものに変化することによって解消され、<慣れるtame>ことによって、犬は尻尾を振って私達の手を舐めてきますし、猫は私達の膝の上で喉を鳴らすでしょう。
でも、まずは、<恐れ>の分析を行います。
<感情>の<変容behavior modification>につていは、もう少し後の章で論じることにします。
さて、古代、人類がまだ穴蔵に暮らしていた頃、私たちの回りには多くの<危険>が満ちていました。
草原には肉食動物があふれて、石斧や矢という原始的な武器しか持たない人類にとっては、彼らと出逢うことは生命の危険に直接関わるものでした。
現在のように電気を利用した明かりのない原始時代は、夜の暗闇は<危険>に満ちたものでした。
暗闇の中は未知であり、そこには落ちたら死んでしまう<危険>な崖があるかもしれませんし、私たちが餌になってしまうような<危険>な肉食動物が潜んでいるかもしれませんでした。
従って、原始の時代、<恐れ>の対象は自分の生命に直接的な<危険>もたらす肉食の動物や、そして暗闇だったのです。
<恐れ>の対象は、<死>そのものだったのですね。
原始人さんは、日々の生活に追われています。
現代人のように、給料が振り込まれて、世界中のどんなものでも自由に買える、なんて時代ではありません。
まず、食べ物を自分で探さなくてはなりません。
食べなければ、死んでしまいます。
でも、安全な洞窟を出て、外に出ると、危険な動物がたくさん生息しています。
動物だって、自分が生きていくために、家族を養っていくために、食べなくてはなりません。
人間は、おいしそうな<エサ>です。
これは、怖いですね。
もっとも、そういった動物だって怖いんです。
人間にも<恐れ>という感情があるように、動物にだって基本的な感情として<恐れ>があります。
それでは、現代人の恐怖の対象は何でしょう?
「ゴジラ」や「ジュラシックパーク」ではありませんので、恐竜はさすがにその辺を歩いていません。
幸いなことに、日本では、戦後は静かで平和な世界でしたが、そうとも言い切れなくなってきましたが……。
神戸大震災・新潟中越地震・新潟中越沖地震・スマトラ島の地震と津波……。
そして、東北大震災。
中国では、大きな電車の脱線事故もありました。
ですから、突然の死というものは、確かにあります。
一般の人で次に怖いのは、病気でしょうか。
この写真は、たけしさんの本当は怖い……という番組でも放送された、<舌癌>の写真です。
これくらいの癌になると、舌は全部取ってしまいます。
だいたい12時間くらいの手術になります。
癌細胞の性格が悪いと、再発したり、全身に転移をします。
死んじゃうんです!
歯医者さんだって……
(一応、私の専門なんですが……)
やっぱり、恐怖の対象です。
「戦場に英雄は居ても、歯科医の治療代には居ない」なんて言われているように、なぜか、歯医者さんは嫌われ者です。
テレビドラマや、映画なんかでも、だいたいは、越後屋と同じで、「おぬしも悪のよう」のたぐいです。
昔、ナチスドイツが、スパイの拷問の時に、麻酔無しで歯を削って、尖った針(探針と言います)で、むき出しの神経をつついたとかつつかないとか。
麻酔もない江戸時代、神経まで穴の空いてずきずきした虫歯の痛みを取るのに、やけ火箸を突っ込んだとか!
ディズニー映画の「ファイディングニモ」でも、歯医者さんは悪役でした!
ミュージカルの「リトルショップオブホラーズ」の歯医者さんもなかなかえぐいです。
ミスタービーンも、歯医者さんで大暴れをしました。
実際、日本人口1億人を突破しているのに、1年の間に1回でも歯医者さんに行った人の割合は、3割程度だそうです。
もっとも、ハリーポッターシリーズの、ハーマイオニー・グレンジャーの両親の設定は歯科医師です。
ハリーポッターと死の秘宝part1で、両親の記憶を消すシーンは、ちょっと、かわいそうでしたね。
そこまで行かなくても、怖いものはたくさんあります。
Holmus T.は、私たちの周囲に起こる種々のストレスを数値として表現しました。
必ずしも私たち現代の日本人にはぴったりとはこないかもしれませんが、例えば、
配偶者の死を100とすると、
・離婚73
・親密な家族の死63
・怪我や病気53
・結婚50
・職を失うこと47
・妊娠44
・仕事・職業上の方針の変更36
・借金やローンのトラブル30
・仕事上の責任の変化29
・生活条件の変化25
・個人的習慣の変更24
・職場の上役(ボス)とのトラブル23
・労働時間や労働条件の変化20
・住居の変化20
などと数値化をしています。
これは、私たちが<恐怖>する対象には色々なものがあるということです。
また、その<恐怖>にも、生命の<危険>から始まって、非常に些細な事に至るまで、種々のグレードがあるのだと言うことです。
特に、生命の<危険>にさらされることの少ない私たち現代人は、生命の<危険>という重大なトラブルというレベルに至らなくても、色々な程度のトラブルに対して、<危険性>と<恐怖>を感じ、これが多くの場合、私たちのストレスの引き金になっているのです。
さて、この写真は、私の趣味の一つのパラグライダーです。
「高いところなんてまっぴら」なんてのも、一つの恐怖の対象ですね。
さて、私たちが怖いものは、目に見えるものばかりではありません。
お化けなどは、目に見えなくても、恐怖の対象です。
夕べ、怖い夢を見た話を書きました。
久しぶりの、じゅおん風のホラードリームでした。
想像しただけでも、怖いですね。
リング・らせん……
夏になると、どうしても、怪談話で盛り上がります。
何故かは、わかりませんが……
でも、私たちは、お化け屋敷に行きます。
ディズニーランドのホーンテッドマンションは大好きです。
(昨年のナイトメアビフォアクリスマスバージョンは最高でした)
絶叫マシーンに乗ります。
ディズニーシーにも、一回転コースターのレイジングスピリッツができました。
怖いんですよね?
怖いのに、どうして、行くのでしょう?
矛盾していませんか?
死んじゃうほどの恐怖には耐えられないけど、ちょっとしたスリルなら、味わいたいんですね。
自分のスキャンダルは困るけど、みのもんたさんの番組のように、他人のスキャンダルならいいんですね。
人間て、本当に自分勝手で、不思議な生き物です。
<恐れ>だけでも、まだまだ、議論は付きそうにありません。
さて、一番やっかいな<恐れ>があります。
相手が、目に見えるのならば対処のしようもあるのですが……。
日本人の多くが感じている恐れは、<メンツ>です。
「面子」と書きます。
管さんも、小沢さんも……。
こればかりは、なかなか、やっかいなんですが、分析はまた後で。