さあ、それでは、心の深淵へ、冒険を始めましょう。
よく、他人はよく見えるのに、自分のことはよく見えないと言います。
何故なんでしょう?
他人、長所や欠点はよく見つけられるのに、自分のはというと、なくて七癖というように、自分では、全然、気が付かないことも多いです。
なぜなら、他人を見るには、自分の心はあまり痛みません。
でも、自分の心の中には、見たくないものを、たくさんため込んでしまったのです。
何が入っているのかわからないような、開かずの物置か納戸のようなものです。
たぶん、大掃除をしないと、床の色すらわからないでしょう。
生まれてから今までのこの人生の間にため込んでしまった、ゴミです。
まるで、のだめの部屋です!
だから、嫌なんです。
ゴミくらいならいいんですが、もう、二度と経験したくないような、嫌な感情がたくさんしまってあります。
パンドラの箱です。
私も、夕べ、なぜだか、もの凄い恐怖映画のような、色つきのリアルな夢を見ました。
ハリーポッターのディメンターみたいなのに追いかけ回されました。
あまり、ゆっくりとは干渉したくありません。
夢だって、汗びっしょりになって目を覚まします。
さて、心の深淵には何が潜んでいるのでしょう?
曼荼羅です。
密教で用いるもので、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があります。
多くの仏様や神様を配置しました。
同じように、私たちの気持ちや感情も、いろいろな種類があります。
感情も、また、私たちの心の曼荼羅です。
それぞれ関連もしています。
一つの感情にとらわれているときには、全体像が見えません。
曼荼羅のように地図があれば、わかりやすいですね。
ただ、闇雲に、心の深淵に突っ込んでいくよりも、まず、それぞれの感情の意味や理由を知ることで、道に迷わなくなります。
感情の袋小路に入り込んでしまうと、出てくるのが大変だからです。
特攻ではなくては、冒険ですから、地図と懐中電灯があってもいいはずです。
私たちは、恐れを感じます。
でも、幽霊の正体見たり枯れ尾花と言います。
「なあんだ」と、わかってしまえば、何にも怖いことはありません。
まず、自分のハートを描いてみました。
そこには、喜怒哀楽という、いろいろな気持ちや感情があることまでわかります。
さて、それぞれの感情についてちょっと曼荼羅のようなマップを描き始めてみます。
そうすれば、自分の心のどこを探検すればいいかが見当が付いてきます。
お掃除をして、どの感情をどの戸棚にしまって、もういらない感情は粗大ゴミにして捨ててしまえばいいのだと、きちんと判断が付くようになるからなんですね。
さあ、大きな命題です。
「感情は分類できるのでしょうか?」
答えは、複雑です。
感情や情動について書かれている内外の文献を片っ端から読みあさりました。
いろいろなカウンセリングやコーチングやファシリテーションや、かたっぱしからセミナーや講習会にも参加をしました。
すみません、私にディベートに付き合って下さった方々(被害者でしょうか(笑))もいます。
吸収できるものは全て、情報となりそうなものは全て、集めました。
でも、よくわかりません。
確かに、分類はあります。
多くの心理学者などが分類の試みを行っています。
おもしろいところでは、ダーウィンすら感情を研究していました。
でも、フロイトを読んでも、ユングを読んでも、アドラーやゲシュタルトやエンカウンターグループや、そのほか、ありとあらゆる心理学の教科書を読んでみても、よくわかりません。
感情の定義すら書かれていません。
困ったことに、こんな説もありました。
「怖いから逃げるのではなく、逃げるから怖いんだ。」
星一徹ではありませんが、ちゃぶ台をひっくり返したくなります。
でも、医療教育の医療面接の教科書にはこう書かれています。
「患者さんの感情に配慮する」
わからんものを、どう、配慮すればいいんでしょう?
仕方ないので、古今東西の文献をまとめ、さらに、自分の経験や知識を総動員して、感情を大系づけてみることにしました。
これから、長い話しになりますが、興味のある方はおつきあい下さい。