ハリーポッターでは、<恐れ>がすべての原動力になっている。
 <名前を呼んではいけないあの人>=ヴォルデモート。
 ヴォルデモートによる支配の構図は、<恐怖>。
 パワーゲームである。
 自分に従わないと、痛い目に遭うよ!
 と、その「尻馬に乗る」死喰い人(デスイーター)が集まってくる。
 「虎の威を借る狐」である。
 ヴォルデモートの恐怖を頂点とするピラミッド構造ができあがる。

 現在の多くのコミュニティがこの構図である。
 トップには取り巻きができ、ご機嫌を取ろうとする人が集まってくる。
 悪い情報はトップには届かない。
 ヴォルデモートに何かを進言しようとする死喰い人たちは、ヴォルデモートの視線に頭を下げる。
 取り巻きは、ヴォルデモートの恐怖を体現することで、他の人を支配しようとする。
 中間管理職の辛いところだ。
 上にはノルマを与えられて、下には厳しくしなければならない。
 日本にもまだまだ残っている、古い社会通念だ。

 教員だって、つい、言ってしまう。
 「○×できなかったら、単位取れないわよ!」
 言葉の分析をすれば、ネガティブ&ネガティブである。
 否定的な表現を使って、相手を追い込んで、トラップに落としてしまう。

 こんなトラップがある。
・教員が、学生の携帯に連絡をした。
 そこには、このように書かれている。
 「すぐに連絡をください」
 ここまではいい。
 問題は、その後だ。
・次のメールが行く。
 「どうして、すぐに連絡をくれないんですか?」
 でも、授業中には返事を出せない。
 だから、休み時間に返事をした。
 「遅い!」と怒られた。
・それを知っている別の学生は、授業中に返事をした。
 と、鬼の首を取ったような返事が来た。
 「授業中に、どうして、メールの返事を打てるんですか?
  あなたには、やる気があるの?」

 これは、魔女裁判方式だ。
・魔女は、火あぶりにしても死なない
・だから、魔女を疑うものは火あぶりにする
 当然、ほとんどのものは死んでしまう
・でも、魔女は水に弱い
 仮に、火あぶりに生き延びても、「魔女」という判決になるから、水攻めで殺されてしまう
・どっちにしても、死ななくてはならない

 でも、物語が進むにつれて、ヴォルデモートはホークラックス(分霊箱)に自分の魂を隠していることが明らかになってくる。
 人の死は平気な癖をして、自分が死ぬことを最も恐れているのだ。
 実は、ヴォルデモート自身がハリーポッターを最も恐れている。

 さあ、最後に、形勢が逆転し始める。
 と、ヴォルデモートの下に徒党を組んでいた死喰い人達は、ひとり、また、ひとりと、彼の元を去っていく。
 ドラコ・マルフォイの両親のナルシッサとルシウスも、最後の決戦の前にヴォルデモートに背を向ける。

 <恐れ>による支配は、その<恐れ>の効果がなくなれば、終焉を迎える。

 多くのパワーゲームは、密室で行われる。
 だから、公になり、太陽の元に照らされると、パワーゲームの効果は無くなる。

 <恐怖>への対処法は、非常に簡単である。
 <喜び>である。
 ただ、これが、なかなか見えない。

 だって、そのやり方しかみてきていないんだから。
 上司からやられたそのやり方を、ただ、それを部下に使っているだけなんだから。
 それって、あたりまえじゃん!
 尋ねると、「どうしていけないの?」と逆ギレする。
 「なぜ?」と問い詰めると、必死に抵抗して、しどろもどろになって、自分の正当性だけは守ろうとして、嘘やはったりで固めようとする。

 みな、同じ反応だ。
 非常に面白い!

 さあ、話が終わってみれば、ハリーを救ったのは<愛>である。
 お母さんのリリーの愛はもちろん、初回からハリーに辛く当たっていたスネイブ教授の<愛>(ちょっと変質はしているかもしれないが……)である。
 スターウォーズが、はじめは主人公だと思われたルーク・スカイウォーカーの物語ではなく、ダース・ヴェーダーの物語だったように、ハリーポッターシリーズも、ハリーではなくて、ダークサイドに落ちたかに見せかけたスネイブの純愛物語だ。

 さて、じゃあどうすれば?
 何度も書いてきたように思う。
 ネガティブ&ネガティブを、ポジティブ&ポジティブに言い換えればいい。
 それだけのことだ。

 「○×できなかったら、単位取れないわよ!」
 「○×できたら、単位が取れるわよ!」

 「歯を磨かないと、むし歯になるわよ!」
 「歯を磨くと、気持ちがいいでしょう!」

 簡単すぎるって?

 そう、物事の真実は、単純なんです。