家の窓から、こんな夕日が見えます。
富士山方向に落ちる黄金色の夕日です。
この部屋は数年前に引っ越しましたが、富士山が見えるので即決です!
さて、夕日を見ていると飽きません。
刻々と、色も形も変化していきます。
私たちの心も、どんどん変化していきます。
一瞬一瞬で違います。
サウンドオブミュージックの「マリア」の歌の歌詞にもあるように、「波を砂浜にピンで留められないように」「雲をつかめないように」、心もまた、つかみ所がありません。
捕まえようと思うと、逃げてしまいます。
見たくないときに限って、目の前に立ちはだかります。
まったく記憶の底に沈んでいたのに、何かのきっかけで、それも、大切な恋人とのちょっとした一言がキーワードになって、感情が吹き出してくることもあります。
困ったものです。
でも、感情は、逃げるものでもなく、立ち向かうものでもなく、コントロールするものでもありません。
ただ、感じるものです。
それを、淀ませるから問題が起こるんですが……。
さて、もう一休みです。
ネコさんです。
ネコは、ときどき、塀の上や木の上に登りますが、基本的には2次元の世界に住んでいます。
基本的には、ネコの認識する世界は、前と後、そして、右と左です。
ときどき、鳥などを追いかけるときには上もあります。
でも、自分のテリトリーはやはり2次元です。
壁や塀も、やはり、地面から角度の違ったつながりですね。
一方、人間には、飛ぶ力があります。
ナスカの地上絵をどう描いたかは今でも謎ですが、現代では、飛行機で空中に浮かび、さらには、スペースシャトルで宇宙に飛び出して、遙か彼方から地球を眺めることができます。
人間は3次元的な思考をしています。
ですから、地図があると(地図の読めない何とかという本もベストセラーになりましたが……)、自分がどこにいるのかがよくわかりますね。
でも、心は何次元でしょう?
残念ながら、地図はありません。
あれば、どんなに便利でしょうか!
前に書いた、もう一つの心の地図を見る方法の一つです。
エゴグラムと言います。
これは、私のある日のエゴグラムです。
気まぐれ人生を代表するように、優しさの部分と自由なこどもが高く、大人の部分と父親的部分と順応したイイ子は低いですね。
これも、また、刻々と変化していきます。
仕事のとき、家に帰ってほっとしているとき、遊んでいるとき、いらいらしているとき……
仕事のときも、講義をしているときと、診療のときと、嫌いな会議の時では、全く別の地図になります。
おもしろいとしか言いようがありませんね。
これは、ユングで言えば、ペルソナという部分になります。
自我のもっとも外側にある部分で、私たちは、それぞれの、仕事や親やこどもなどの顔をしているのですね。
地上の喧噪も、空の上から見れば、一目瞭然です。
もし、あなたが道に迷っていても、どっちへ行けばいいかわかります。
もし、今、あなたが何かにぶつかっているとします。
にっちもさっちもいかないかもしれません。
よく、「一歩下がって物事を見なさい」と言います。
パソコンのディスプレーに、思いっきり目を近づけてみて下さい。
何も見えないですね。
物事を見るためには、ある程度の距離も必要なんです。
前にちょっと触れたナスカの地上絵も、地上に居たのでは見えません。
空から見れば、ようやく全体像がわかるのです。
人生だって同じです。
壁にぶつかっているときには、壁の全体像が見えません。
でも、振り返ってみると、いくつもの壁を乗り越えてきたんですね。
過ぎてしまえば、「あんなものか」とわかるのですが……
高村光太郎の「道程」みたいもんです。
こんな風に感情を観ることができれば、どんなに簡単でしょう。
「人生は先の見えない長いトンネル」などという人が居ます。
本当にそうでしょうか?
もし、先が見えてしまったら?
◎月×日にこんな事が起こって、▲月□日に死にます、なんて、あなたの未来がすべてわかっていたらどうでしょう?
たぶん、逆に気が休まらないと思います。
「死」という終点目指して、あなたの人生は一直線です。
私たちは、人生というゲームをしています。
先が見えないからおもしろいのです。
推理小説の最後のページを先に読む人は居ないでしょう。
ドラゴンクエストもファイナルファンタジーも、何が起きるかわからない、どこにどんなアイテムが隠されているかわからないから、おもしろいのですね。
その証拠に、秋葉原の中古ソフトショップには、たくさんのゲームソフトが並べられています。
終わってしまえば、もう、興味の対象はなくなるのです。
人生も、今を生きているゲームなんです。
過去でもなく、未来でもなく、今、このとき、この瞬間、この場所で……
さあ、もうすこし、感情について分析を続けていきます。