難しいテーマです。
一応、教務部長という立場、教員の側にも、学生の側にも、付かなくてはならない。
学生には「がんばれ!」といい、教員には「びしびし」とは言うものの、昨今の事情、厳しさだけでは教育は進まない。
文部科学省は、「成績評価の客観性と公開」を求めている。
最近は、シラバスをインターネットなどできちんと公開をしなければならない。
もし、学生に、「このテストの採点、どうなってるの?」と訊かれたら、きちんと答える必要がある。
昔のシラバスには、「総合的に判断する」なんて書かれていた。
今では、許されない。
さて、学生も人間。
教員も、これまた人間。
どちらにも、感情がある。
だって、人間ですから!
ちょっと前に、マッテオ・モッテルリーニ「世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ」「経済は感情で動く はじめての行動経済学」という本を紹介したことがある。
教育だって感情で動く。
もちろん、歯科医院の選択だって、お店屋さんの選択だって感情で動く。
「感情」を使いこなしたら鬼に金棒、歯科衛生士にスケーラーだ。
さて、今、前期試験の第一弾。
私も、3科目ほど採点をする。
ここで、考える。
客観的な採点ができるのだろうか?
歯学部では、共用試験(CBT)という試験が行われる。
コンピューターを使った試験だ。
だから、感情は入らない。
(まあ、試験を作るところで、制作者の意思や試験問題の選択には感情が入るかもしれない)
しかし、採点は、あくまでもコンピューター上で行われる。
歯科医師国家試験だって、歯科衛生士国家試験だって、マークシート方式だから感情は入らない。
でも、歯科技工士試験(まだ県単位で国家ではない)。
まだ、実技試験がある。
だから、採点者の感情が入らないとは言い切れない。
私は、選択問題と、筆記問題の両方を出す。
選択問題の採点は簡単である。
さて、問題は、筆記試験。
この採点が難しい。
一気に採点してしまわないと、始めと後で変わってくる。
だから、もう一度、始めに戻って見直す。
キーワードがきちんと入ってるかどうか。
キーワードに線を引いていく。
足りない項目はないか。
最後に、全体のバランスを考えて、点数を決めていく。
あるとき、学生が相談に来る。
同じような内容なのに、ある学生は合格点で、ある学生は不合格。
私には、読んでも、その違いがわからない。
もっと、難しいのが、態度点。
何を持って、採点をするのだろう?
ある学生が、20点満点の態度点で3点を貰って、相談に来た。
私は、学生には「態度を改めて、その先生に、なんとかしてくれ」と、相談に行け!と、お尻を叩き、一方で、その教員に、「成績評価基準を教えてくれ」と尋ねる。
教員だって学生だって、人間だから、感情がある。
好き嫌いだってある。
先入観を排除することは難しい。
マッテオ・モッテルリーニは「ヒューリスティクス」と表現する。
「茶髪は不良」で、「黒髪は優等生」。
そんな構図ができあがる。
「先生の言うことをちゃんときくのはいい子」で「反抗するのは悪い子」。
本当にそう?
前にも書いたが、卒業して、これは!と思わせる歯科衛生士になるのは、標準偏差から外れた学生。
もちろんできる子はいいとして、底辺の手の掛かった子が、突然、化ける。
真ん中へんの、適度に勉強のできる平均的優等生は、結婚して辞めたり、歯科医院でトラブルに巻き込まれたり。
最近でも、学生時代は全く勉強が嫌いだったのに、突然、カリスマ歯科衛生士を目指して、三顧の礼で安生朝子さんに弟子入りした卒業生もいる。
私の歯にはまっているインレーを作ってくれている歯科技工士さんは、知り合った頃はリーゼントでそり込みが入り、改造車に乗っていた(笑)。
だから、学生時代の成績なんて、あてにならないこともある。
それでも、客観的な採点をしなくてはならない。
では、どうやって感情を扱えばいいのだろうか?
感情に流される、抵抗する、無視する、コントロールする?
どちらにしもて、私は、教務部長として、その学生さんが臨床実習に行けるかどうかを判断しなくてはならない。
さてさて、頭の痛い問題だ。
一応、教務部長という立場、教員の側にも、学生の側にも、付かなくてはならない。
学生には「がんばれ!」といい、教員には「びしびし」とは言うものの、昨今の事情、厳しさだけでは教育は進まない。
文部科学省は、「成績評価の客観性と公開」を求めている。
最近は、シラバスをインターネットなどできちんと公開をしなければならない。
もし、学生に、「このテストの採点、どうなってるの?」と訊かれたら、きちんと答える必要がある。
昔のシラバスには、「総合的に判断する」なんて書かれていた。
今では、許されない。
さて、学生も人間。
教員も、これまた人間。
どちらにも、感情がある。
だって、人間ですから!
ちょっと前に、マッテオ・モッテルリーニ「世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ」「経済は感情で動く はじめての行動経済学」という本を紹介したことがある。
教育だって感情で動く。
もちろん、歯科医院の選択だって、お店屋さんの選択だって感情で動く。
「感情」を使いこなしたら鬼に金棒、歯科衛生士にスケーラーだ。
さて、今、前期試験の第一弾。
私も、3科目ほど採点をする。
ここで、考える。
客観的な採点ができるのだろうか?
歯学部では、共用試験(CBT)という試験が行われる。
コンピューターを使った試験だ。
だから、感情は入らない。
(まあ、試験を作るところで、制作者の意思や試験問題の選択には感情が入るかもしれない)
しかし、採点は、あくまでもコンピューター上で行われる。
歯科医師国家試験だって、歯科衛生士国家試験だって、マークシート方式だから感情は入らない。
でも、歯科技工士試験(まだ県単位で国家ではない)。
まだ、実技試験がある。
だから、採点者の感情が入らないとは言い切れない。
私は、選択問題と、筆記問題の両方を出す。
選択問題の採点は簡単である。
さて、問題は、筆記試験。
この採点が難しい。
一気に採点してしまわないと、始めと後で変わってくる。
だから、もう一度、始めに戻って見直す。
キーワードがきちんと入ってるかどうか。
キーワードに線を引いていく。
足りない項目はないか。
最後に、全体のバランスを考えて、点数を決めていく。
あるとき、学生が相談に来る。
同じような内容なのに、ある学生は合格点で、ある学生は不合格。
私には、読んでも、その違いがわからない。
もっと、難しいのが、態度点。
何を持って、採点をするのだろう?
ある学生が、20点満点の態度点で3点を貰って、相談に来た。
私は、学生には「態度を改めて、その先生に、なんとかしてくれ」と、相談に行け!と、お尻を叩き、一方で、その教員に、「成績評価基準を教えてくれ」と尋ねる。
教員だって学生だって、人間だから、感情がある。
好き嫌いだってある。
先入観を排除することは難しい。
マッテオ・モッテルリーニは「ヒューリスティクス」と表現する。
「茶髪は不良」で、「黒髪は優等生」。
そんな構図ができあがる。
「先生の言うことをちゃんときくのはいい子」で「反抗するのは悪い子」。
本当にそう?
前にも書いたが、卒業して、これは!と思わせる歯科衛生士になるのは、標準偏差から外れた学生。
もちろんできる子はいいとして、底辺の手の掛かった子が、突然、化ける。
真ん中へんの、適度に勉強のできる平均的優等生は、結婚して辞めたり、歯科医院でトラブルに巻き込まれたり。
最近でも、学生時代は全く勉強が嫌いだったのに、突然、カリスマ歯科衛生士を目指して、三顧の礼で安生朝子さんに弟子入りした卒業生もいる。
私の歯にはまっているインレーを作ってくれている歯科技工士さんは、知り合った頃はリーゼントでそり込みが入り、改造車に乗っていた(笑)。
だから、学生時代の成績なんて、あてにならないこともある。
それでも、客観的な採点をしなくてはならない。
では、どうやって感情を扱えばいいのだろうか?
感情に流される、抵抗する、無視する、コントロールする?
どちらにしもて、私は、教務部長として、その学生さんが臨床実習に行けるかどうかを判断しなくてはならない。
さてさて、頭の痛い問題だ。