さて、昔から、恋をすると、こんなハートを描きますね。
ハートに、矢が刺さっています。
恋のキューピットが、恋の矢を放つと、恋に落ちるのですね。
こどもの時に、ディズニーのアニメ映画なんかで、そんなシーンを見たことがあります。
「恋」は、大きなエネルギーを持っています。
誰かを好きになってもいいです。
と、すべてのことをそっちのけで、その人のことだけを思います。
すごいエネルギーですね。
このエネルギーをポジティブな使い方をすれば、もの凄く幸せになれますね。
でも、また、あとで解説をしますが、この、恋の矢はあなた自身のエネルギーではありませんね。
誰かの、あなたを「好きだ!」というエネルギーが、形になったものです。
でも、恋は、ちょっと苦しいときもありますね。
そこには、これまで話した、「嫌われたら」という恐れや、「どうして私だけを見てくれないの?}という怒りや、「他に好きな人が……?」と言う嫉妬や、いろんなエネルギーが詰まっているからなんですね。
恋は盲目と言います。
何かを忘れてしまって居るんですね。
さて、愛はどうでしょう?
真ん中に心があると言った人が居ましたが、自己中ではなくて、相手のことを一番に考えるんですね。
涙のハート。
なんかの歌のタイトルみたいですが……
時には、涙を流しているハートもあります。
心だって、疲れるんですね。
悲しいことだってあるんです。
このハートは、失恋したのでしょうか?
何か、大切なものを失ったのでしょうか?
どうしたんでしょうか?
ハートに目があります。
誰を見て居るんでしょう?
それとも、いつも、誰かの目を気にして、きょろきょろしているんでしょうか?
さて、私たちは、いつも誰かの目にさらされていると感じています。
夫や妻の目、こどもの目、親の目、上司の目、部下の目……
これでは、気が休まる暇がありませんね。
ちょっとまって、見られることは嫌なんですか?
何か、見られると、困ることでもあるんでしょうか?
でも、あなたは、テレビや舞台で活躍する俳優さんや女優さんではないでしょう?
彼らは、見られることで、成長をしていきます。
人生は、ショービジネスです。
夫や妻も、こどもも、親も、上司も、部下も、すべては人生というショーの一部です。
でも、安心して下さい。
ほとんどの人は、自分のことで精一杯です。
他人のことなど見ている暇なんてある人の方が少ないんです。
こんなハートはいかがでしょう。
スターウォーズエピソードIIIの、アナキン・スカイウォーカーのように、熔岩が煮えたぎっています。
でも、硬い鎧に包まれています。
どこにも出すことのできない怒りが充満しています。
鉄の心臓です。
この人は、他の人の心が理解できるのでしょうか?
松本零士さんのマンガにメタルーナとか機械化人間が出てきますが、こんな感じのハートなんでしょうか?
熔岩に呑まれ、改造されたダースベーダーの心もこんなになってしまったのでしょうか?
アナキン・スカイウォーカーも、愛している、守りたいパドメのために、心を閉ざしたのですね。
奇しくも、こどものアナキンを見たヨーダが言いました。
「恐れは怒りを呼ぶ。怒りは、ダークサイドに通じる」
執着心は、心の目を曇らせます。
よそ見をしないように、目の両側に黒いカバーを付けた、競争馬のようです。
他のものは目に入りません。
他人の忠告も耳に入りません。
こういった閉ざされた心のキーを探すのは大変です。
スターウォーズでは、アナキンのこどものルークが鍵でしたね。
とにかく、「フォースの共にあらんことを!」です。
さて、恐れや怒りや嫉妬のマイナスのエネルギーも、やがて枯渇します。
心も燃え尽きます。
灰のようになってしまった心です。
化石のようになってしまった心です。
手塚治虫さんの火の鳥のように、ハリーポッターのダンブルドア校長先生のペットのフェニックスのように、蘇るのを待ちましょう。