Yahooより引用(http://setsuden.yahoo.co.jp/)
今日から、計画停電の表示がこのように変わった。
非常にわかりやすい。
今朝、始発の新幹線で新潟へ来たが、東京も新潟も節電モード。
新潟では、8000人以上の避難者を受け入れているそうだ。
新幹線の中で、新聞を拡げた。
朝日新聞の一面には、こんな記事があった。
『計画停電 今夏・冬も』
単純に言うと、電気が足りないのだ。
4面に詳しい解説があった。
今年の夏の需要は6000万キロワット。
今年の冬の需要は5000万キロワット。
でも、向こう一年間電力供給できるのは、4700万キロワットなのだそうだ。
まず、東京電力の福島第一・第二原子力発電所と広野・常陸那珂発電所が使えない。
日本海側からの援助も、中越沖地震などで減っている。
では、西日本からといっても、周波数が違うので、変換できる電力は一日に100万キロワットしかないのだそうだ。
休眠中の火力発電所を動かすのにも数ヶ月から、年単位のメインテナンスが必要。
そもそも、電気は、磁石の間で鉄の棒に電線を巻いたコイルを動かすことで発生する。
問題は、そのコイルを何で動かすかである。
火をたいて、お湯を沸かして、その蒸気で回せば、火力発電。
火の代わりに、核燃料が核分裂する力でお湯を沸かして、その蒸気で回せば、原子力発電。
やっていることは、同じなのだ。
汽力発電と言うらしい。
実際には、作られた火のエネルギーや、原子力のエネルギーのほんのわずかしか電気に変えていない。
けっこう、効率は悪い。
クリーンなエネルギーは、ダムに溜めた水の力で回したり、風の力で回せば、廃棄物は出ない。
山小屋では、最近は、屋根の上に太陽電池を、そして、風力発電機を回している。
電線は来ないから、自家発電をしなければならない。
でも、発電機を回すのには、燃料が居るから、燃料の必要ない発電を考える。
自給自足である。
その代わり、日の出と共に起きて、日の入りと共に寝る(さすがにそれは無理なので、消灯は8時から9時)。
最近は、電力を喰わないLED電球に置き換わっている。
テント生活なら、まさに、自給自足。
電池やコンロのガスの心配をしながら、山行をする。
でも、普段の生活の中で、そういったことを私たちは見落としている。
誰が石油を掘り、運び、どこでエネルギー産み出し、どのような人の手を経て私たちの手に渡っているのか。
ひとりひとりの仕事はその一部しか補っていなくても、私たちは、多くの人のネットワークの中で生きていることを、そのネットワークが途切れたときに始めて、思い出させられる。
ところで、電気の問題。
関西は60ヘルツ。
関東は50ヘルツ。
ヘルツというのは、振動の単位である。
音にも光にも電気にも使う。
一秒間に何回振動するか。
でもって、日本に発電機が導入されたときに、関西はアメリから、関東はドイツから輸入をした。
アメリカ式は一秒間に50回回転する発電機、ドイツ式は一秒間に60回回転する発電機だった。
それが、そのまま現代まで継承されてしまった。
って、どこかで統一しておけば、こんな事にはならなかったのだが、会社が違うのでそうもいかない。
昔のビデオのベータとVHS、メモリーカードのSDカード、XDピクチャーカード、メモリースティック、スマートメディア、コンパクトディスクみたいもんだ。
規格が違うと、どうにもならない。
日本の電車の軌道も、狭軌軌道を輸入してしまった。
だから、今でも、日本の線路は、狭いままである。
ようやく、新幹線になって広軌軌道が導入できたといういわれもある。
さて、昨日、スタジオじぶりの特集をしていた。
ナウシカを思い出す。
世界戦争で滅びた後、風の谷では、風力発電をしていた。
多少不便でも、風や太陽の光を使った、クリーンなエネルギーの生活。
今後、そんな方向に動いていけばいいのかなとふと思った。