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今日の夜から、京都に出張する。
公益財団法人大学コンソーシアム京都が主催する「第16回FDフォーラム」に参加をするためだ。
FDというのは、ファカルティ・ディベロップメント。
教員も勉強をせよと言うことである。
2008年4月には完全義務化された。
だから、教員は、多様化する学生に対応するために、日々、勉強をしなくてはならない。
私も、教務部長兼FD担当でもあるので、2ヶ月に一回行われる大学のFDの案を考え、講師を務め、司会をし、時には、ファシリテーターも勤める。
と言うことで、最新の情報を集めに行く。
さて、勉強をするかしないかである。
時代は変化をしている。
人々の意識は拡大の一途を続けている。
当然、学生の意識も変わる。
取り巻く、教育環境も変わる。
だから、教員も、10年前にやっていたことなんて、すでに、時代遅れである。
取り残されないためには、勉強をするしかない。
情報を収集するしかない。
全国歯科衛生士教育協議会(http://www.kokuhoken.or.jp/zen-eiky/files/info/index_info.htm)では、毎年、歯科衛生士専任教員講習会を行い、教員は、アイスブレーキングから始まって、講義法から、コーチング、アサーティブなコミュニケーションの方法まで研究を行う。
だから、学校の教員は、かなり最先端の知識を得ている。
でも、自ら、情報収集をできない人たちもいる。
昔とった杵柄で、「自分のやり方が最高!」「非難などしてくれるな!」と思っている教職員も、残念なことに、少なからずいる。
当然、学生の授業評価アンケートも悪い。
批判を、客観的に、自分の欠点を気付かせてくれる大事な情報であるとは認識できない。
客観的な意見は、悪口にしか聞こえない。
「悪いのは学生だ」と思っている。
自分が、学生時代にどんなだったかは、すっかり忘れてしまっている。
学生時代には、先生の批判をしたり、今だって、上司や同僚の悪いところを見つけてぶつくさ言っているに違いない。
FD担当という意味もあるので、私は喜んで悪役を買って出ているので、くしゃみが絶えない(笑)。
そんな人は、時代に取り残される。
ハードルは高くなっている。
でも、すでに、自分が、裸の王様になってしまったことには、気がついていない。
外堀も、内堀も埋め立てられて、大阪城は丸裸なのだ。
でも、井のなかの蛙さんには、世界が見えてこない。
さて、今回の京都で(入試問題漏洩事件もあったので……)、どんな、新しい情報が得られるか、非常に楽しみなところである。
そうそう、大学の校友会報に記事を頼まれた。
こんな記事を書いてみた。
「最近の教育現場をめぐる変化」
ほんの少し前までは、教育は「与えるもの」であった。教員は、ぞれぞれのスタイルで講義をし、知識を与えれば良かった。学生達も、それでちゃんと付いてきていた。しかし、在学中の学生達は「ゆとり教育」世代である。例えば、入学試験の面接で「どれくらい本を読むか?」と尋ねても、「去年の、夏休みの読書感想文の宿題」とか「朝の10分間読書」などという答えが返ってくる。お膳立てをきちんとして与えられたものでなければ、なかなか受け入れてくれない。それでも、授業に身が入らない。そして、受け身で、自ら、疑問点を解決しようと参考書を調べたり、予習・復習をしない。
それに合わせて、昨今の教育環境は、文部科学省の諮問機関である中教審答申にもあるように、学士力と就業力を身につけさせ「学生が学びやすい環境を提供する」場に変化した。シラバスは学生を主人公に書かれ、教員も、第三者評価や学生による授業アンケートにより評価をされる時代になってきている。教員も、教育法を見直し、学ばなければ、時代に取り残されてしまう。
しかし、「変わる」ということは、怖いことである。なぜなら、慣れ親しんだ環境の方が、何も考えなくてもいいから楽だからである。自らの選択で成長しようという意志があれば自分の殻を破ることができるが、外から「変われ」と言われれば、そこには心理的な強い壁と抵抗がある。まさに、イソップ物語の「北風と太陽」である。しかし、大河ドラマの明治維新の坂本龍馬然り、最近のチュニジアやエジプトなど中東の改革のように、教育のみならず、世界の意識は否応なく変化する。
学生には、良くこんな話をする。「感性というレセプター(受容体)」を育てなければならない。そのためには、たくさんの本を読んだり映画を見たり、友人と共に笑い・泣き・時には喧嘩もし、多くの経験を積む必要がある。私たち教職員も、学生にきちんと何かを伝えるためには、私たち自身の「心のレセプター」を育てる必要がある。みなさんには、その心の準備ができているだろうか?