夕べから、NHK教育でまとめて放送をしているので、ついつい、見てしまう。
 サンデル教授の「JUSTICE(正義)」を元に、バーバードの学生たちとの白熱したディスカッションが続く。
 一方的な日本の教育風景(パッシブラーニング)とは全く違う。
 こういった講義形態を、まさに、アクティブラーニングというのだと、つくづく感じた。

 第一回のテーマは、哲学や倫理の伝統的なテーマである。
 テーマは「死」である。

 伝統的な倫理のテーマはこうだ。
「船が沈んだ。
 二人の遭難者が泳いでいる。
 そして、一枚の板きれが浮かんでいる。
 板きれは、一人は支えられるが、二人は無理である。
 さあ、どうするか?」
である。

 サンデル教授は、こんなテーマに仕立て上げた。
「ブレーキの壊れた貨物列車が暴走している。
 まっすぐ進むと、5人の作業員が線路の上で作業をしている。
 ポイントを切り替えた先にも、線路の上に一人の作業員がいる。
 君が、運転手だったら、どちらを選ぶか?」
である。

 議論は白熱する。
・5人を殺すよりも1人の方がいいのか?
 合理主義的な考え方だとサンデル教授は解説する。
 
 でも、アメリカ的だなと感じた。
 誰も、矛盾に気づかない。
・運転手はポイントを切り替えられるのか?
・無線や携帯はないのか?
・どうして、警笛を鳴らさないのか?
・作業員が気づくという可能性を、どうして、誰も議論しないのか?
・列車が電源、あるいはディーゼル機関を停める、あるいは逆回転(後進)にセットする
などなど、選択肢は無限にある。

 これは、2者択一の選択肢を与えられたときの、ステレオタイプの合理的な考え方。
 白か黒かではなくて、灰色があってもいいじゃないかと、誰も気づかない。
 学生達は、サンデル教授の話術にはまってしまった。
 私がいたら、きっと、突っ込みどころ満載である。

 次のテーマは、こんなのである。
「船が難破した。
 4人が救命艇に乗っている。
 食料も水も底をつく。
 一人が死にそうになった。
 そして、その人を殺して、食料にしてしまった」
という事実あった事件をテーマにした。

 これも、「殺す」というところに議論が集中する。
 殺された人の同意があったのか?
 緊急避難ではないのか?
 3人ではなく、30人、300人だったらどうするのか?

 サンデル教授は、仏教は知らないと見える。
 お釈迦様は、前世でこんな行いをした。
「ある日、腹を空かせた子供達を抱えたトラが飢えていた。
 お釈迦様は食べものを持ていなかった。
 そこで、お釈迦様は自らの体をトラの前に投げ出したのである」

 その他、「事故車のリコールは合理的には必要か」などなど、面白いテーマが続いている。

 ただし、学問というのは、簡単には答えは出ない。
 答えのでないところに、考えることに意味がある。
 いろいろな意見が出て、そこで、別の考え方に気づくところに意味がある。
 だから正解はない。
 
 私が、暴走列車の運転手だったら、警笛を鳴らし、エンジンを逆回転させ、必死で無線機に叫ぶだろう。
 5人か、1人かを殺す、と言うところに集中しないで、その危険を如何に未然に回避するかと言うことを考える。
 あるいは、ポイントの真ん中に突っ込んで、列車を脱線させるという手もあるかもしれない。
 貨物列車で無人だから、被害は自分だけである。
 生き残るチャンスだってある。
 スティーブン・セガールの「暴走特急」もあったし、最近、実話を元にした「アンストッバブル(http://movies.foxjapan.com/unstoppable/)」なんて映画も上映される。

 思考過程のステレオタイプの危険性。
 この、学生さん達は気がついているのだろうか?
 あるいは、サンデル教授は、それを知った上で、あえて、学生達を誘導しているのだろうか?

 今日も、10時から特集が始まる。
 その中で、何かヒントとなる片鱗が見えてくるか、ちょっと、楽しみである。