$山田隆文の歯医者さん日記

 http://books.rakuten.co.jp/rb/マンガ禅の思想-蔡志忠-9784062562706/item/981743/

 では、トラぶったときにどうするかですね。

 昨日の私。
 ホームページソフトの不具合で、トラブルに陥りました。
 なんとか、仕事で使うページはほとんどレスキューできましたが、一部のページは、完全にだめになってしまいましたので、始めから作り直しです。

 ここで、いくつかのやり方があります。
・悪態をつく
・落ち込む
・気分一新、新しく造る

 多くの人は、悪態をつきます。
 これは、ストレス発散にはいい方法です。
 でも、次ですね。
 落ち込むです。
 もちろん、私も、一瞬は「しまった!」と思います。
 だいたい、パソコンはバックアップを取っていないときに限って、壊れます。
 あとは、そのマイナスの感情をそのように扱うかで決まってきます。
 多くの人は、その感情を消化不良なまま、引きずります。
 未解決の感情は、蓄積されていきます。
 前に、老子の「上善如水」というお話をしました。
 水は、流れているから自然なんです。
 せき止めるから、淀みます。
 で、堤防よりも水が増えてくると、あるとき、決壊をします。
 感情もまた同じですね。
 がまんして、がまんして、がまんして、ストレスはどんどん膨らんでいきます。
 そして、ある日突然、堪忍袋の緒が切れます。
 大爆発です。
 そのあとは、「ああ、やっちゃった!」と落ち込む日々が続きます。
 感情を堰き止めたからいけないんです。
 嬉しいことは「嬉しい!」。
 悲しいことは「悲しい!」。
 素直に表現すればいいのですが、これを隠そうとします。
 だから、淀んじゃうんです。
 私の場合は、「しまった!」「こんちくしょう」「いいさ、新しく造ってやる!」と一瞬で切り替えてしまいます。

 えっ、できないって?

 では、禅のお話です。

 座禅では、雑念を取り払って、何も考えるな!といいます。

 でも、できるでしょうか?

 できないんですね。

 「何も考えるな!」というその言葉が雑念となって、とらわれてしまうと、次々といろいろな考えが浮かび上がってきて、いつまでたっても、頭の中がクリアになりません。
 孔子の道を探すです。
 でも、そんなときは、ただこうしてください。
 色々な考えが浮かぶのはあたりまえ。
 それを、映画の予告編でも見ているように、ただ、目の前を通り過ぎるままにしてください。
 出てきても、出てきても、水の流れのように流してしまいます。
 「考えてはいけない」と思うと、色々な考えがわき出してくる。
 ひとは、色々考えるのがあたりまえである、それが、どうした!
 老子の、すでに道の中にあるです。
 流して、流して、ひたすら流しきってしまうと、ふっと、無になる瞬間が訪れます。
「嗚呼!」です。
 禅の世界では、これを悟りといいます。
 形式からはいる宗教では、まず、形があって、意味を理解して、ステップを踏んでいかなければ悟りなんて開けないと考えます。
 ですから、心より、まずは、形です。
 禅では、「嗚呼!」とひらめいた瞬間が悟りです。
 ひらめきの一瞬一瞬が悟りです。
 ただ、凡人は、その一瞬を長く止めておけないだけ。
 聖人クラスでは、この悟りの瞬間をず~~~~~~~~っと、止めておける。
 それだけの違いなんです。
 すでに、お釈迦様だって、弟子にそうやって試していました。
 禅では、心があって、形になります。

 あれ、どっかで聞きましたね。
 ザ・シークレットです。
 「考えたことが、形になるんです」

 だから、トラブルにあった。
「できない」と思ってしまったら「できない」んです!
「解決できる」と思えば「なんとなる」んです!

 今日の結論。

 開き直ったもん勝ちです(笑)!