昨日(10月23日)は、新潟中越地震から6年目でした。
 くしくも、同じ土曜日。
 たくさんのイベントや、報道がありました。

 この地震には、いろいろな思い出があります。

 たまたま、その日は東京に戻っていました。
 夕方、家に戻ると、ぐらっと来ました。
 東京でも、震度3以上あったような気がします。
 すぐにテレビを付けると、新潟で大きな地震。
 新潟市内でも、震度4以上。
 大学は大きな被害はありませんでしたが、震源地の川口町を中心に、大きな被害が出ました。
 当然、学生さんは新潟県内各地から通学していますので、まずは、被害の状況把握です。
 新幹線も、長岡近くで脱線。
 まずは、どうやって新潟に行くかが大問題!

・交通手段
 テレビを見ていると、ANAが臨時便で羽田ー新潟を飛ばすとのこと。
 上越新幹線開通で消滅して以来の飛行です。
 早速ANAに電話をすると、最後の4席が残っているとのこと。
 すぐに、予約をしました。
 羽田ー新潟便は、まっすぐ飛びません。
 群馬を抜ければ、早そうなんですが、厚木基地とか横田基地なんかの関係で、千葉・福島と経由してぐるっと回っていきます。
 新幹線の再開通まで、何回も乗りましたので、上空から成田空港や、会津磐梯山や猪苗代湖などが紅葉し、やがて雪で白くなっていく季節の変化を感じていました。
 一度だけ、羽田空港に着陸する直前に、ディズニーランドの花火を真下に見られたのは、ラッキー!

 で、怖い話。
 新潟空港は、そんなに滑走路が長くありません。
 そこに、私の乗ったジャンボジェット機が!
 いつもの新潟空港よりも、ずっと手前にアプローチ。
 なんと、滑走路の手前ぎりぎりにタッチダウン。
 あとで、テレビのインタビューにパイロットが答えていました。
 「いやあ、はじめて新潟空港にジャンボで着陸しました」だとさ!

・同僚
 川口町出身の同僚がいます。
 真っ青になって、実家に帰ろうとしましたが、道路が寸断されているので、諦めました。
 でも、後日談。
 その実家は、ミサワホームの工務店をやっているそうです。
 もちろん、自宅もミサワホーム。
 多少は壊れたものの、びくともしません。
 でも、問題が。
 仕事柄、自分の家よりも、他の人の家を先に直さなくてはならいので、なかなか、自分の家は直せなかったとのこと。
 それでも、ミサワホームの宣伝に使われたそうです。
 地震に強い家ということで、CMにも出たとか(笑)。

 山形経由で7時間かけて東京から戻った同僚も。

・学生
 まずは、山古志村の学生。
 家族共々、ヘリコプターで救助されました。
 あとで、映画になった「山古志村のマリ」を観て、「甘い!現実は、もっと厳しい!」と、のたまいました。
 脱線した新幹線の一本後に乗っていた学生。
 もちろん、立ち往生し、新幹線の中に閉じこめられ、線路を歩いて、非常階段を降りて、近くの学校の体育館で一夜を明かしたそうな。
 その他、仮設住宅の学生も数知れず。
 寮に、緊急避難する学生もいました。

・歯医者さん
 卒業生の就職する歯医者さんも大打撃。
 廃院になるところも、何ヶ月も休診をせざるを得ない所も。
 一方で、ボランティアも大活躍。
 高齢者の口腔ケアなどで、県内の歯医者さんや歯科衛生さんがたくさんの避難所などをまわりました。

・2度あることは3度ある。
 ところが、なにに呪われたのか新潟県。
 今度は、新潟大洪水。
 中之島を中心に大洪水で、多くの家が水没しました。
 学生さんの実家も。
 でも、人間てタフです。
 とある卒業生。
 たまたま、私の部屋に遊びに来ていた同級生が心配して電話すると……。
「ねえ、見た見た!テレビ!あの、堤防決壊して、2件目の家があたしんち。1階は壁と柱しか残ってない!あたしんちの家族、ヘリコプターで救助されたって!」
「あなたは、どうしたの?」
「彼しんちにいたから、無事!」
 もちろん、学生さんは後片付けのボランティアに行きました。
 ところが、その直後。
 今度は、中越沖地震が襲います。
 柏崎方面が大打撃で、青海川駅(「高校教師」のテレビドラマで、羽村隆夫と二宮繭が電車を待っていたところ)が崖崩れで半壊。

 今の新潟は、おかげさまで、ほとんど、復興しています。