この数日、京都に出張でしたので、ブログの更新が遅れました。
出張の目的は、第15回FDフォーラム。
http://www.consortium.or.jp/
財団法人大学コンソーシアム京都が主催で行っているシンポジウムです。
FDって?
ファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development)といいます。
一般的には、
・学習者の視点に立って教育・学習効果を最大限に高めること
・教員の支質の向上をはかること
・教育の質を上げること
(仏教大学副学長:清水稔先生談)
つまり、こんな意味。
「学生教育する事は、自らの職業の未来を創っている」
いかが?
いろいろな大学の先生達が集まって、どうやって教育を良くしていこうかという会議をしてきたんです。

場所は、この写真にある、京都の同志社大学。
校舎には、こんな文字が刻まれていました。
「諸君ヨ、一人一人ハ、大切ナリ」
書いたのは、同志社大学の創始者でもある新島襄。
この会議で、心に残った言葉。
「大学は、商店から株式会社にならねばならない」
わかる人にはわかるでしょうね。
わかんない人には、きっと永遠にわかりません。
さて、場所は京都ですので、久しぶりに大徳寺大仙院におじゃましました。

大仙院の尾関宗園和尚は、78歳だそうですが、ご健在でした。
高校時代の修学旅行以来ですので、30数年ぶりにお会いしました。
「不動心」という著書にサインをいただいたのを憶えています。
今回は、「平常心」「縛られず、こだわらず、愉快に。」という二冊の著書にサインをいただいてきました。
「縛られず、こだわらず、愉快に。」と簡単に書いてありますが、まさに、禅の心。
このブログで何回か出ている「執着」を手放す事です。
大仙院の枯山水は、山の滝から始まり、渓流から静かな流れになり、本堂前の静かな海に注ぎます。
始めは100個以上の岩がありますが、岩は徐々に少なくなり、本堂前の枯山水には一個の岩もありません。
悟りの段階を表しているとの事。
岩の数は、執着の数、煩悩の数だったんですね。
大仙院は、豊臣秀吉と千利休が茶席をもうけた事もでも有名です。
いまでも、そのままの形で残っています。
秀吉が言いました。
「花を生けてみよ」
利休は廊下の外の枯山水の岩のくぼみの水に、花を浮かべました。
そして、二人の関係が創られていきます。
大仙院では精進料理とお茶をいただいてきましたが、そこに書いてあった書を紹介します。
「自主トレ人生
やればできる、必ずできる
何事もまずやってみる
うまくいくまでやってみる
それでもうまくいかなければ考えてみる
あきらめずに考えていると
寝ている間にでも
ふとよい考えがわいてくることもある
それでもうまくいかなければ
親や先生に聞いてみる
あきらめなければ必ずできる」
いかがでしょう。

応仁の乱で焼け野原になった大仙院を再建したのは、あの一休さん。
大仙院の隣に真珠庵があり、ここにいました。
でも、いたのはほんのちょっと。
前に紹介した京都の南の酬恩庵で質素な晩年を過ごします。
一休さんの生き方もまた、執着をどう手放すかでしたね。
でも、長くなりましたので、続きはまた。
出張の目的は、第15回FDフォーラム。
http://www.consortium.or.jp/
財団法人大学コンソーシアム京都が主催で行っているシンポジウムです。
FDって?
ファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development)といいます。
一般的には、
・学習者の視点に立って教育・学習効果を最大限に高めること
・教員の支質の向上をはかること
・教育の質を上げること
(仏教大学副学長:清水稔先生談)
つまり、こんな意味。
「学生教育する事は、自らの職業の未来を創っている」
いかが?
いろいろな大学の先生達が集まって、どうやって教育を良くしていこうかという会議をしてきたんです。

場所は、この写真にある、京都の同志社大学。
校舎には、こんな文字が刻まれていました。
「諸君ヨ、一人一人ハ、大切ナリ」
書いたのは、同志社大学の創始者でもある新島襄。
この会議で、心に残った言葉。
「大学は、商店から株式会社にならねばならない」
わかる人にはわかるでしょうね。
わかんない人には、きっと永遠にわかりません。
さて、場所は京都ですので、久しぶりに大徳寺大仙院におじゃましました。

大仙院の尾関宗園和尚は、78歳だそうですが、ご健在でした。
高校時代の修学旅行以来ですので、30数年ぶりにお会いしました。
「不動心」という著書にサインをいただいたのを憶えています。
今回は、「平常心」「縛られず、こだわらず、愉快に。」という二冊の著書にサインをいただいてきました。
「縛られず、こだわらず、愉快に。」と簡単に書いてありますが、まさに、禅の心。
このブログで何回か出ている「執着」を手放す事です。
大仙院の枯山水は、山の滝から始まり、渓流から静かな流れになり、本堂前の静かな海に注ぎます。
始めは100個以上の岩がありますが、岩は徐々に少なくなり、本堂前の枯山水には一個の岩もありません。
悟りの段階を表しているとの事。
岩の数は、執着の数、煩悩の数だったんですね。
大仙院は、豊臣秀吉と千利休が茶席をもうけた事もでも有名です。
いまでも、そのままの形で残っています。
秀吉が言いました。
「花を生けてみよ」
利休は廊下の外の枯山水の岩のくぼみの水に、花を浮かべました。
そして、二人の関係が創られていきます。
大仙院では精進料理とお茶をいただいてきましたが、そこに書いてあった書を紹介します。
「自主トレ人生
やればできる、必ずできる
何事もまずやってみる
うまくいくまでやってみる
それでもうまくいかなければ考えてみる
あきらめずに考えていると
寝ている間にでも
ふとよい考えがわいてくることもある
それでもうまくいかなければ
親や先生に聞いてみる
あきらめなければ必ずできる」
いかがでしょう。

応仁の乱で焼け野原になった大仙院を再建したのは、あの一休さん。
大仙院の隣に真珠庵があり、ここにいました。
でも、いたのはほんのちょっと。
前に紹介した京都の南の酬恩庵で質素な晩年を過ごします。
一休さんの生き方もまた、執着をどう手放すかでしたね。
でも、長くなりましたので、続きはまた。