まだまだ感情の話題が続きます。
 今日のお題は、「あなたの死後にご用心」。
山田隆文の歯医者さん日記

 http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=982
 残念ながら日本未公開&DVD化されていませんので、中古のビデオを探すしかありませんが……。

 アルバート・ブルックス監督による、1991年の作品です。
 監督本人が主役で登場。
 アルバート・ブルックスは、タクシードライバーやプライベートベンジャミン、愛と追憶の日々などにも出演しています。
 アルバート・ブルックス扮するダニエルは、どじばかりやっているさえないサラリーマン。
 ある誕生日、買ったばかりの車でドライブ中に、バスと正面衝突!
 物語はここからスタートです。
 話は、アメリカ版の丹波哲郎「死んだらどうなる!」「死んだら驚いた!」。
 これを、コミカルに描いています。
 登場人物も豪華です。
 ヒロインにはメリル・ストリープス。
 ジュリア役で、アルバート・ブルックスに絡んできます。
 メリル・ストリープスは「ジュリア」で」映画デビュー。
 ここでの役名ジュリアも監督ならではのデビュー作へのオマージュでしょうか?
 あとは、きら星のごとく有名作品に登場しています。
 ディアハンター、クレイマークレイマー、ソフィーの選択、恋に落ちて、愛の哀しみの果て、永遠に美しく、愛と精霊の家、マディソン郡の橋、マイルーム、ミュージックオブハート、めぐりあう時間たち。
 最近では、プラダを着た悪魔では鬼の編集長を、マンマミーアではミュージカルもこなし、ジュリー&ジュリア、そして、最新作は恋するベーカリー。
 クレイマークレイマーでアカデミー助演女優賞、ソフィーの選択ではアカデミー主演女優賞ももらっています。
 このジュリアが、ダニエルよりはちょっと進化した人間として登場。

 さて、話は、あの世に行く前のジャッジメントシティ。
 地球上の各地域の上空にあります。
 ダニエルはもうろうとしたままホテルに案内されます。
 翌朝、ダイアモンドと名乗る男から電話が。
 ダイアモンドはダニエルの弁護士だと言います。
 ダイアモンドを演じるのはリップ・トーン。
 トミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスのメンインブラックの上司Zと言えばわかる人も多いでしょう。
 ダイアモンドはこう説明します。
 「ここは、あの世に行く前に、生前の<恐れ>について審判をするところ。
  5日間の審判で、地球に戻るか次のステップに進むかを決める。」
 日本では、閻魔大王の前で生前の生き様を見なくてはならないのですが、さすがアメリカですので、ウイットが効いています。
 ジャッジメント=審判というくらいですので、当然、検事も居ますし、裁判官も居ます。
 裁判所そっくりの部屋で、3D映像で過去の<恐れ>の場面を見せられます。
 次のステップに進めるかは<恐れ>を克服できたかどうかが大事なポイント。
 ダニエルは、赤ちゃんの時には両親の喧嘩を恐れ、小学生ではいじめられても喧嘩もできず、女の子に振られ、恐れから株には失敗し、恐れから安く雇われ、妻に見放され、スピーチもできず……。
 と言う具合で審判が続きます。
 そして、ジュリアに出逢います。
 ジュリアの審判を見学に行くと、裁判官も検事も弁護士も、彼女の人生を絶賛。
 ダニエルは自分との差を見せつけられます。
 とどめは、過去生を見られるという過去の歴史館。
 ここには、愛と追憶の日々のシャーリー・マクレーンも友情出演。
 この映画では、アルバート・ブルックスも声だけ出演しています。
 スターウォーズのレイア姫を演じたキャリー・フィッシャーの自伝を元にした愛と喝采の日々では、メリル・ストリープスと親子を演じています。
 さて、ジュリアの前世はプリンス・エドワード。
 一方のダニエルはライオンに追われるブッシュマン。
 送って帰ると、ダニエルのホテルはビジネスホテルみたいなのに、ジュリアは豪華なリゾートホテル、ジャグジー付き。
 でも、ダニエルはここでジュリアの愛に応えられません。
 どうみても、ジュリアは進級、ダニエルは落第に決まっています。
 離ればなれにならなければならないという<恐れ>から行動が起こせないのです。
 最後の審判の日、凄腕検事は、ジュリアとの最後の別れのシーンまで持ち出して、<恐れ>が克服できていないとプレゼンします。
 当然、ダニエルは落第。
 5日が過ぎ、旅立ちの日です。
 8つの路線に分かれて次の人生に進みます。
 何故8つ?
 これは、またどこかでお話しします。
 ダニエルは、別のバスに乗ったジュリアを見つけます。
 そして、バスから飛び出して、ジュリアのバスへ。
 ようやく、一つの<恐れ>を克服できました。

 さて、第一のステップは<恐れ>を克服すること。
 多くの人は、<恐れ>を原動力に人生を生きています。
 一番怖いのは<死>かもしれませんが、私たちが<恐れる>ものはたくさんあります。
 そんな人はこう考えます。
 (もし、○×して、失敗したら、嫌われたらどうしよう!)
 だって、成功すると褒められて、失敗すると怒られるという、まるで犬や猫のような育て方をされたんですから。
 「○×しなさい!」「△□しちゃだめ!」と言われ続けたんですから。
 「イイコでいなさい!」と躾けられたんですから。

 イイコって、辞書を引くと、「子供を褒めていう語」と書いてありますが、用例はこうです。
 「いいこだから静かにしてね」
 もう一つの意味は、「 自分だけがよく思われるように振る舞う人」。
 用例は、「一人だけいいこになろうとしている」
 あれって思いませんか?
 誰にとってのイイコなんでしょうか?
 もちろん、その子ではなくて、親や先生にとってのイイコですね。

 躾けという字です。
 身を美しくと書きます。
 すごく、ポジティブですね。
 でも、意味はこうあります。
 「礼儀作法をその人の身につくように教え込むこと」
 あれ?
 これも、自分のことではなくて、親や先生にとって見栄えが良くなるんでしょうか?

 親や先生から「よく見られない」ことは<恐れ>の対象なんですね。
 
 でも、誰かの目を気にしながら生きているのって、本当の自分自身を生きているのでしょうか?
 まさに、アイデンティティ・クライシスですね。

 では、どうやったら<恐れ>を克服できるんでしょうか?

 これは、私の方法ですので、全ての人に当てはまるわけではありません。
 一つの方法は、当たって砕けることです。
 スキーで急斜面で怖くても、何度か転んでいるうちに慣れてきます。
 わたしの趣味のパラグライダーも、始めは風で吹き飛ばされ、ヤブに落ちながら上達していきます。
 <怖い>ことを経験したくないと思うから、よけいに<怖い>んです。
 予期不安です。
 パニック症候群です。
 どちらも、まだ、何も起こっていません。
 起こったら<怖い>なと思っているだけですね。
 でも、今の日本、死ぬほどのことはまずありませんよね。
 ぶつかってみてもいいんじゃありませんか?

 私はいつもこんなたとえをします。
 火は熱い。
 でも、それをどう教えたらいいでしょうか?
 熱いことは触ってみなければわかりません。
 でも、危ないからと触らせないのが教育でしょうか?
 そして、火は、使い方によっては、有用なものにもなりうるんですね。
 いかがでしょう?