ニッポン人の忘れもの | 徒然なるままに。

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なんでもないつぶやき、大好きな嵐ゴト、多し。

きのうの朝、7時前だったと思うのですが、めざましテレビの新しい企画というので


探そう、ニッポン人の忘れもの


(だったかな??)
というテーマで、毎日投稿ミニ作文を読まれるらしいのですが…



朝出かけに聞いただけで、うろ覚え

ただ、気になったんです。

確か、少年二人くらいで真夏炎天下の中、(どこか目指してたのだったかな??)お金を全く持たず、自転車を頑張って漕いでいたところ、
あまりの暑さに、通りにあるお米屋さん(?)に入って、勇気を振り絞って言ったそうなんです。



「お金ないんですけど、水もらえませんか。」


と。

すると、お店のおばさんが奥からコップに水をついで持ってきてくれたそうです。



この作文は、この水がありがたかったと。
勇気を振り絞って言ってよかったと。
今の子供にこの言葉が言えるかなと思う、という感じで締め括られてました。
(うろ覚えなので、ニュアンス違ってたら申し訳ないです)





子どもの頃、見知らぬ大人に助けを求めることはすごく勇気がいりました。

でも、頑張って口に出すことで、少し大人の階段をのぼったような気分になった思い出はあります。



見知らぬ子どもに手助けしてくれる大人がいる、自分の子のことのように考えて、敢えて助言をくれる大人がいる社会っていいな思います。



ただ、この話、
「お金はないけど…」
って要りますか?


人の親切を求めるのに、お金を出す時点で、大人の考え方が入ってる気がして…。
(しかも、どう転んでもお金が出せない状況で…)


私の実家の田舎なら、子どもが汗だくでお店入ってきて、

「すみません、お水いただけませんか。」
って言ったら、
麦茶氷つきがでてきそうです。
(子どもに社会の厳しさを教えるのとは次元が違いますよね。)


なんだか、子どもの時分に、お金がないと水がもらえないという認識をもつのは、寂しい気がしてしまうんです。





そもそも、大人と子どもの関係でなくても、
人の親切をお金で求めること前提の話は、田舎者の私からみると、なんだか変な感じがします。


たまに見る気がします。
所さんのダーツの旅のような企画で、田舎に行った取材の人(芸能人)が、
海の幸山の幸をいただいた時に、お金を払おうとして、

全力で要らないと、断られる場面。


親切をする方も、相手が喜ぶことで自分も満足する訳ですから、
それをお金に換算されては気分が悪いのではないでしょうか。



田舎とか都会とか関係なく考えても、
自転車に乗った熱中症にかかりそうな状況の子どもに、お水を買えと言うような大人にはなりたくないな、と

あまのじゃくなこと考えてしまいました



ニッポン人の忘れもの、というなら、
私なら、
相手にちょっとした手助けをすることを、自分の損と考えずに自然とできる心、

子どもが、お金の心配をすることなく助けを求めることができる大人社会

という感じです。


そういうのって、初対面の人であれ、信頼関係が前提だと思います。
(めざましの作文も、そういう信頼関係のことを言っているんでしょうね。)

色々物騒な社会になると、なかなか人を信用するのが難しいとは思いますが…