母:「お前の走り方はほんとにちんちくりんねー。見てていやになっちゃう。」
父:「堂々と走れ!」

運動会が終わると、K君が両親から決まって与えられるのは否定的な評価だけだった。確かにK君は足は遅かったし、それでも何とか速く走りたかったから体に余計な力が入って肩が上がり、背中は曲がって恰好悪いことは確かだった。
母:「やっとこビリじゃなかった。〇〇君と同じ組になれたから。」
徒競走は6人で走るのだが、多くはもう一人さらに足の遅い子が同組になることも多く、ビリになるのだけは何とか避けられるといった程度の成績だった。
フォークダンスや棒倒しなど、そのほかの種目については母親は興味がなく、何も言わなかった。父親は運動会に見に来ることはなかったが、母親の否定的な言葉をそのまま受けてK君を叱責したり、バカにしたりした。母親にしてもわざわざ見に来ることはなく、PTAの役員をよくやっていたからその時に見たのである。

子どもを褒めるということを知らない親たちであったし、K君にとっても親から褒められたことなどなかったから、きつい言葉で否定的な評価をされても特に気にはしなかったが、いつの間にか、しかし確実に自己の身体に対する劣等感につながっていった。

小学6年のときの臨海学校の集合写真は、K君自身はいい写真だと思っていたが、母親からはやはりきついダメだしがあった。
それは海の中に設けられたやぐらにクラス全員が登り、撮影したものだった。K君はやぐらの中段に上がり、四隅の柱の一本につかまって横向きに立ち、顔をカメラ目線に向けて写った。その写真の中の息子を、母親はやぐらの中央に写るS君の姿と比較して強くなじった。

「見てみろ。S君なんかこんなに筋肉もりもりでかっこいいや!お前は何なんだ、こんなに貧弱で、猫背にしてちんちくりんだ!自分で恥ずかしいと思わねえんか!」
もともと華奢な体格なのは生まれつきだし、特にスポーツクラブに入っているわけではないのだからそんなこと言われても仕方ないのだ。
S君は少年野球のピッチャーをしていてスポーツ万能で体格も大きい。初めからK君とはくらべものにならない。

K君の母親は息子の理想の身体像をS君に見て、その理想からK君が劣っていることをなじっているのであるが、こういったことがK君の劣等感をさらに増長する

小学校の卒業が近づき、中学の制服をつくるために業者が来て、理科室に集まった生徒の寸法を測っているときのことだ。ちょうどPTAの集まりがあり、役員で来ていたK君の母親がその様子を目にしていた。母親が見たのはS君の採寸の様子だ。
家に帰ってからまたK君はひどく叱られた。
母:「なんでS君が測ってもらっているのなんか見てるんだ!みっともない!」
母親に言わせるとS君は胸を張って堂々としており、採寸の時の様子が立派だったという。それをK君は横で見ていたので、母親からしたらやはりK君が貧弱に見えたのだ。
そんなことを言われても、その時間はみんなが理科室に集まったのであり、K君はデパートで制服を買うから採寸しなくていいと母親から言われていたため、みんなが測ってもらっているのを見ているしかなったのだ。
K君:「だってほかにすることないよ」
母:「なんだと! だからほかの子のお母さんにK君はみっともないと思われるんだ! S君は堂々として立派なのに、お前なんか背中丸くして馬鹿づらこいてぼっと見ていやがって! まだわかんねんか!」

「自分はみっともないんだ。親は自分みたいな子がいることが恥ずかしいのだ」
K君の「強い身体への憧れ」は幼い頃に始まり徐々に増大してゆき、中学から成年にかけ剣道や水泳、長距離走、登山、スキーなどに順次取り組むようになる。それらのスポーツに対する取り組みは、もとをたどれば自己の身体に対する劣等感を克服するためのWORKである部分が少なくない。そしてその劣等感は間違いなく母親に植え付けられたのである。