阪神淡路大震災から25年。この震災をきっかけに日本でも「心的外傷」という言葉が多くの人に認知されるようになってきた。一般には「トラウマ」と呼ばれており、また多くの人たちがその正確な内容を理解しているとは思われないが、ともかく言葉があることは重要だ。

同様に「児童虐待」「ハラスメント」という言葉が一般に語られるようになったのも、日本ではここ20年ほどのことだろう。

以前はこれらについての名前がなかった。名前がないから語りえず、語りえないから認識されない。被害者自身でさえ、自分がなにをされているのかがわからない。後日悪夢にうなされることになるような理不尽なことをされていても、それが理不尽と思うことさえできない。

 

p38:「女性は私生活の暴君政治に与える名前をもっていなかった。・・・アメリカの戦闘的フェミニスト宣運動の最初の宣言においてベティ・フリーダンが女性問題を「名前をもたない問題」と呼んだのは偶然ではない。この運動の最初の方法が「コンシャスネスレイジング(意識向上)運動」であったのも偶然ではない。

 

「自分は虐待をされて育った」「自分はサバイバーである」とカミングアウトできるのは、虐待という言葉が通じる空間の中でなければならない。正しく認識される期待値がないところでは、公言することはできない。相手が虐待ということを知らなければ、また知ろうともしなければ語ることができない。それを知りうる言葉を社会が手にしたこと、それは大きな転換点であった。