I guess I'd like to be alone, with nothing broken, nothing thrown.
Just don't ask me how I am. (x3)
僕は物が壊されたり、飛んできたりしない場所でひとりでいたいんです。どうか気にしないでください。)
 
 
昨日ETV特集で放送された「鯨の町に生きる」を見て、太地町の漁師さんたちに対する反捕鯨団体のやり方は虐待にそっくりだと思いました。
 
いくつかの類似点を挙げれば…
①対象を支配するために心的外傷を繰り返し執拗に与える。
②加害は不意に、問答無用で行われる。
③加害者は自らは上位者であり、被害者は劣ったものだと見下す。加害者は自らの正当性にまったく疑問をもたない。
④加害者側に原因がある被害者の行動まで、被害者の過失のせいであり、被害者がろくでもない人間であるためだと決め付ける。
 
反捕鯨団体の行動は組織立って計画的であり、漁師さんが一人でいる時をねらって嫌がらせを繰り返していました。たとえば集団で一人を取り囲み、至近距離で顔写真やビデオを撮りまくる。漁師さんが嫌がって顔を隠すと、「顔も出せないことをやっているからだろう! 恥ずかしいことをやっているから隠れるのだろう!」と罵声を浴びせます。誰だって知らない人から無断で近くから、しつこく顔を撮られたら嫌がるなどといったことは論理の外に置かれ、団体側の都合のいいように解釈して罵ります。
 
取り囲んで「殺し屋!」「死ね!」と言葉を浴びせ、「やっていることを子供に説明できるか?」と迫ります。子供たちは当然父親の仕事を知っており、誇りに思っているのですが、そんなことは反捕鯨団体には関係ありません。とにかく対象の劣等性を暴力的な言葉や身勝手な論理で被害者にぶつけるのです。
 
反捕鯨団体(虐待する親)が絶対的に正しく、漁師さん(虐待される子)の上位にあり、支配のためには反道徳的な言葉や、勝手な論理や行動も彼らの中ではまかり通ってしまうのがそっくりでした。
 
ただ言葉としては、ある食文化をもった人たちに対するそれ以外の集団からの行為なので、虐待ではなく「迫害」というのでしょう。