I think it's because I'm clumsy, I try not to talk too loud.
Maybe it's because I'm crazy, I try not to act too proud.
   (僕が愚図だからいけないんです。騒がずに目立たないでいるよう気をつけます。
    僕が変った子だからいけないんです。でしゃばらずおとなしくするよう気をつけます。
 
ある殺傷事件の法廷で、被告が成育歴において母親から受けた屈辱体験について触れています。
 
被告の食事が遅いと、母親は食器が片付けられないからといって食事を全部チラシや床の上にばら撒かれ、そこから拾って食べました。食事の量を減らすように求めることは母親の機嫌を損ね、食事を抜かれるのでできませんでした。
彼は小学5年生まで夜尿をすることがあったので、おむつをさせられていました。紙ではなく布のおむつで、それを外に干されるのでたまらなく嫌だったようです。
彼が着るものは自分で決めることはできず、必ず母親が決めたそうです。自分で選んでも母親にそれを許可されずに無言で投げ捨てられたと。
風呂で九九の暗唱をさせられた時は、間違えるとお湯の中に沈められる。泣けば声が出ないよう口にハンカチを押し込まれガムテープを貼られる。作文は母親が横に座ってつききりで書かせ、一字でも間違えると原稿用紙を破り捨てて初めから書き直させられるうえ、「この熟語を使った意図は?」などと質問され、10カウントダウンするうちに答えられないとビンタがとぶ。部活動も自分で選べず母親が部を選んで強制する。彼のごく普通の交友を嫌がり、彼としても母親の機嫌を損なうわけにはいかないため、友だちづきあいができない、等々。
 
母親にとって被告は外部化した自分の一部なのでしょう。自分の心の影の部分をコントロールするかわりに、それを彼に投影して支配しようとするのでしょう。
しかし彼も自我をもっていますから、成長とともにコントロールしにくくなります。「屈辱を与える」ということは、成長してゆく息子への支配を続けるための方法なのだと思います。そうすることによって母親にとって子どものままでいさせようとし、力関係を維持しようとします。
母親が出廷しないため出張尋問が行われたことや、彼女が自分の息子なのに「被告」と呼んでいることは大変示唆的です。
 
屈辱体験が心的外傷の一部を形成していても、本人は黙して語らないことも多いことを念頭に、注意深く聞きとっていく必要があります。この事件の弁護士は核心となる心理的背景を、うまく探りあてていると思います。