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8月27日 山陽堂書店にて行われる
塚本晋也さんと「野火」を語る会

事前申し込みを終え参加する権利をえました(>_<。)ウレシス

2010年5月24日以来の塚本監督とのセッションになりそうです
(今回もおそらく圧倒され眺めてるだけでしょう)

酷暑なのに窶れもしないワタクシ
しろくまアイスバーが止まらないよ

「野火ウィーク」とし飲食を減らし過ごせば多少なりとも心身鋭敏となりますのでしょうか!?
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カップや四角い個包装のバーより微細氷の食感が良く美味しいのだ此れがぁ(*゚∇゚*)
1箱6本も入っちゃってるのに199円と破格です 1日で食べきるわけだ

でも飢餓状態で挑まなければいけない感じ

あとは当日まで生き
会場に辿り着けばお話が聞けるはずでございます

このような貴重な催しを教えて下さったマゴさん、本当に感謝いたします☆(´∇`)

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以下
自分用 メモ
AERA No.32 2015年7月27日号
…戦争文学の代表作。フィリピンのレイテ島を舞台に日本軍から見放された兵士が原野をさまよう。死の直前における人間の極限を描く。…高校生の時に小説を読んで以来、「頭から離れることがなかった」作品を本格的に映画にしようと思ったのが、30歳を過ぎた頃。20年以上を経て完成にこぎ着けた。紆余曲折はあったが、「資金集めは大変以前に、どうにもならなかった」と塚本監督。最初に動いたのが20年前。当初6億円の予算で海外から出資を取り付けようとしたが、最終的に通らなかった。皆が知っていて自分の大好きな俳優に出演してもらい、スタッフにきちんとギャラを支払う――。普遍的なテーマだし、そのうちにできるだろうと思っていた。予算は最低2億円。持ち出しは覚悟していた。ところが、最終的に動き出した3年前に集まった資金は、2億円どころかほとんど0だった。「10年前から薄々気づいていたんですが、すでに戦争で主人公がぼろぼろになっていく映画にお金を出すという風潮ではまったくなかった。そればかりか、日本が戦争する国に急速に加速している気配が濃密に漂ってきた。作家として20年以上も思ってきた作品を『今つくらねば』という焦りと、このタイミングでお客さんに映画をガツンと打ち当てなければいけないんじゃないかという強い思いがモチベーションになりました」2005年からフィリピン戦線で実際に戦った元兵士に話を聞いたり、フィリピンで日本人兵士の遺骨収集にも参加したりしながら、主人公田村一等兵の足取りをたどった。資金が集まらないとわかっても、ただ脚本を書き、絵コンテを描いた。自撮りでもいいからやろうと考えた。いよいよ難しくなった3年前は、自分だけでアニメーションで撮ることも検討したほどだ。結局、亡くなった父親の遺産が助けになった。13年3月27日に大岡昇平の遺族から映画化の承諾を得ると、その日に日本文藝家協会へ足を運び、速攻で動き出した。主演は予算の関係上、最終手段の自分が立つことに。製作・監督・撮影・脚本・編集・美術もすべて自分で担当した。効率よく撮影するため、どこで何を撮るか、絵コンテをパズルのように並べて*糸致(←不明文字)密に準備した。衣装、装飾、小道具、大道具までほとんど手づくり。ボランティアスタッフをツイッターで募集し、50~60人が一丸となった。「軍服は1着だけ買って縫製を外し、型を取って50着つくりました。映画の最後に出てくる護送車は段ボールでつくっているんですが、全然作り物には見えない。模型を買ってスタッフが考えてつくりました。錬金術のようです。」(塚本監督)
銃は木を削って、ヘルメットは発泡スチロールで形を作りアルミ箔を貼った。スタッフは飢餓状態の兵士役も兼任。監督は飢餓状態にある田村を演じるため、普段60キロある体重を53キロに落とした。「スタッフと共に機材を背負ってジャンルを走るので、これが精いっぱいでした。熱帯の森はちょっと入るだけですごく疲れる。『ロケ場所はここだ』と自分で決めながら、心の中では『もう帰ろうか』と、のどまで出かかりました」完成した映画は、「やりたかったことの塊」(塚本監督)だ。人は動物と化し、物体になり果てる。戦争を現実に体験したくないからこそ、映画で悲惨な戦争を追体験し、見る人にも感じてもらいたい。小説でも、田村一等兵は語っている。「戦争を知らない人間は、半分は子どもである」
フリーランス記者 坂口さゆり様
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映画館にはってあった記事を上映終了後ちまちまとアナログ行為 ガラケーありがとう!
(読めない単語が入力できなかった…ハズ)