「で、いくらかかるの?」それが第一声目?
改めて"優しさとはどんなこと"を考える。
"同じ立場になったとき、同じことをしてあげるからね。"心の中で皮肉を唱える。
夫をひとことで表現すると"優しい人"だった。
優しさにも種類がある。
手助けをしてくれる、言葉が温かくて柔らかい、逆に、細かいことは言わない、家庭のことは好きにさせてくれる、それも優しさだと思う。
夫は、頼めば手を貸してくれるし、家庭のことは無頓着。これは、私にとってすごくありがたくて、優しい分類に入る。
手助けはしてくれるし、家事の労いが言えても、新調したものに過敏に反応し、以前のものの行方を聞き、廃棄と言えば"まだ使えたのに"と。要は、新しいものにきづく理由は出費。
それは、もったいないものという意識。
価値観の違い、お金の感覚と捉え方は、生活でとてもとても重要。
手助けも温かい言葉も、一瞬で後者が打ち消してしまう。
で、今回の私の通院治療の話題で、身体の心配より先にでたのが医療費のこと。
わかる、わかるけど...そんなことは、話す前に考えていて、保険の手当てでまかなえる。
足が出たとしても、へそくりがある。

費用の心配はなかった。夫への負担は時間。

家事の協力や、子供のことだった。
人は、窮地に立つと本性=ボロが出る。
穏やかな日常では、身体が大切とか、ムリをするなよとか、俺の命に変えても・変われるものなら...溢れる優しさをお披露目。
しかし、いざとなるとその類いにまで話が到達しない、医療費、出費、家計の負担。
治療を受ける身体になって、悲しいのはこの窮地の夫のボロ。
身体は、命に関わるものではない。ただ、やがて、生活に支障が出るために先手をうつもの、時間が掛けて行う必要がある治療。
負担をかけてしまうことを申し訳なく思っていたキモチはなくなった。
今は、頼む立場だから我慢する。
この先、あなたが同じようなことになれば...目には目、歯には歯を。