passion | PRORSUM

passion


passionという言葉が好きです。



普段は見せないし、おっとりした私ですけれど、

自分が変わり始めていることがわかる。

心の底でふつふつと燃えていたものが、存在感を増してきた。


情熱的な人間だったことに気がつきました。


今日、フォアグラのゼリー寄せを食べた、

ひと口でぱっくっと食べた。



今の私には、エネルギーが必要なの。



太陽のような人でありたい。


人に喜びを与えられる人間でありたい。

与えるなんておこがましいけれど。。。


受け取ってもらえるかな。

穏やかな暖かさを与え続けたい。



私はいつも花畑に住んでいます。

愛する人にほほえんでほしい。

愛する人を守りたいの。

愛する人に喜びを与えることだけを考えていたい。

周りを花畑にする人間でいたい。



だから、環境を整えたい。

建築やファッションやインテリアや

そういうものに興味があるのは

つまりこういうことだった。



世界を作り上げたい。

万人を愛せる、慈愛深い人間になれるかしら。

建築とは結局のところ、つまりこの思いだと思う。




常識的に見たら、バカみたいな人だと思うけれど、

空想や御伽噺や

哲学や神話や

歴史やこれからの時代性といった

さまざまな事象の中で、

すべてひっくるめて、世界で生きていく。

近視眼的な考え方を超えていく。



生きていくのは、練習なんてなくて

いつもぶっつけ本番。

仕事もぶっつけ本番ばかり。

勉強させてもらうなんて悠長なことを言う暇はない。

出来上がったルールややり方をとっぱらって、実験していこう。




NYで実感した。

speed speed speed!!!

そんなのは当然で、構築しちゃえばいい。

作っちゃえばいい。

既成事実をつくっていこう。


ここにある。

いまなかったものが、ここにある。


それでいいね。

それがいいでしょ?



引っ込み思案では、だめだわ。

主張すべきところでは、する

引っ込むべきところでは、引っ込む。



今は、気持ちがうるおっています。

みずみずしく、弱弱しいけれど、

芽が出た感じです。




さて、服について。

服は自分が何者かを現す。

だから、すごく手ごわい。


日本でも、そろそろ

服という価値

デザインという価値について

激しく議論が始まると思う。


日本で作って、外国に輸出しようじゃないか。

「高級品、つくっていこうよ!」って話がこちらでも聞こえます。


海外からもっとたくさんバイヤーを呼ばなきゃ。


ね。