天才とはあって無いようなもので、確かにある | 芸術日和

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天才って何だろうか?

僕は画家としてよく目にする絵画はいわゆる天才画家による作品群です。

身近な環境の中でも、わりと頻繁に天才だという言葉は聞こえてきますが、天才とはどういう事なんだろうか?と考えます。

努力はつきものですよね、全てに、天才とは努力して成功した人を指している言葉だと思います、しかし必ず成功がつきものとはいきません、世の中に認知されやすいのがたんに成功というだけですね!



あいつには才能があって自分には無いとかその逆もまた然り、だけど別に大した事は無い、それがどうした?と思います。

それに気を取られてる時点で天才では無いです、なにせ自分にはできると思っていなければ何もできはしないですし非常に天才という言葉はあやふやなもんだと思います

自分には才能がないから諦める

それはそれを乗り越える才能に欠けているのはもちろんそのほか全てにおいて放棄したことになりますし、それを気に病んでしまうのは結局その後もそれを引きずることになります、もともと無いようなもの物に、なにか失ったような顔をして生きていくのは如何なものか?


僕は思います、好きであれば上手になります、そうなるまで続けますし努力というよりも好きだからやってしまうだろうから、天才はそれよりももっとそれを愛して狂気に身を置ける人では無いかな?

棚から牡丹餅のような才能は腐るのが早いです、心が追いつけないですし、自滅の道へ踏み込んでしまうと思います、画家にとって才能とは一種の呪いのようだと誰かが言ってました、金にならずともそれが好きだしそれ以外に手がつかないのは確かにすこし呪いのようです

天才になりたい、そう思って天才をある日突然手に入れたらその人はそれをコントロールできるんでしょうか?

それを支えるのは今までに積み重ねてきた自分のそれに対しての愛情と努力以外には無いと思います

まずは努力とそれを愛することから、次に来るのが狂気が先かもしれませんが


前々からブログで書いています
lost generation、失われた世代。

今この時代を境にやる人とやらない人で別れて行きます、何事にも対してもです

AIとか機械が世界を覆っていく中で人の血の通ったものが浮き彫りになるのは当たり前だと思うし、これは言ってしまえば社会の向かう先とは違う道になります、言葉通り逆に人間らしさを重んじる気持ちが強くなります、心の虚しさからそれはきます。

スピリチュアルとか自己啓発本を読むのもいいですがそれだけじゃ当たり前ですが全く意味がないです、本来自分の心の中にそれがあって本によってそれをコントロールするできるようになるものだろうし

自己啓発本を読んだら自己啓発できたことにならないのは誰もが承知のはずです、しかし自分の心に刺激と鼓舞する意味ではかなり大きいと思います、ぼくもたまーに気になった本には目を通してみます。

自己啓発はまさに自分でやるものですから、天才の考え方という本を読んでも天才にはなれないです、それを書いた人の方がどちらかといえば天才です!笑


僕は自分の中に絵を描きたいという思いが体を突き動かしてこの生活をしています、しかし自分の絵はまだまだ発展途上です、見ればわかります、しかし原石は確かに散りばめられています、もっと磨いて磨いて、どんな色の宝石が出てくるのか?を僕自身が見てみたいのです、削った結果なにも出てこなかったということもあると思います、だけど僕は出てこなかったという事実でも知るまで削り続けたいと思ってしまいます。

僕は絵を描いている時、普段の生活でも出てこないような愛情を感じます。

あとは努力と継続、その果てに何があるのかは天にお任せして僕は今日も生きるわけです。

遠回しに自分は天才だと言ってしまいました。笑


それを確かめるためにやろうということを言いたかったです🤣笑

だから周りの人に現実を見ろとか言われてもわかりましたと言って絵を描くために急いで帰ってしまうわけです、僕のジャンルは芸術です。


芸術というコミュニケーションを志す方々が偶然このブログを最後まで読んでくれていたなら、偶然同じ時代に生まれた縁もありますしどうぞこれからもよろしくお願いします、相見える日が来ることを楽しみにしています👨‍🎨


もし気分を害したら底辺画家の戯言ですから聞き流していただけると幸いです

今日の一枚



鞍馬山僧正坊

日本八大天狗の一角です

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