しっかり風邪をひいた。
体をあっためようとして食べたシチューも食後のコーヒーも味がなんか変だ
しまいには一服のハイライトでさえ不味いときた
絵を描く気にもなれない、心のどこかではずっと絵のことを気にしている、今日だって本当は熱が上がらなければ美術館に行っていただろうし。
今日一日中寝ていたからあまり眠くもない、明日からは仕事がまた始まるのだけどあまり気乗りしない。
こんな冷めた気持ちの中で芸術について考えてみる、昨日立ち寄った本屋で村上隆の芸術起業論の表紙の村上さんの目がやけに鋭く見えた。
芸術家は起業家、確かに今の時代にセルフマーケティング、セルフブランディング、は必要なのだろうな、絵を売って名を挙げる、まさに画家に大切なことではある。
自分は何をしているのか?よく考えることではあるが実際のところなにもしていないんじゃないだろうか?
と思ってしまう、正確にはしているがそれは何もしていない事となんら変わりはないのではないか?と思えてくる
自己嫌悪というやつ。
こんな話をしながらも意外と僕はこの状況を楽しんでいる、次はじゃーどうすればいいのか?と考えを巡らせているからだ。
絵を始めた2年前、油絵の具を買って作品を積み重ねて行く事が確かな足跡であり進歩として実感があった、次第にそれは当たり前になり僕は一周回って何もしていないやつに思えてきた
つまり絵を描くことは画家として当たり前のことだと承知したことになる、当たり前のように絵を描き、その次に君はどうするのか?と問いただされているように聞こえてくる。
情熱がほとばしるように筆を走らせて描く棟方志功の映像には芸術起業論なんてものは微塵も感じないけど
思うに、村上隆は画家としてはある程度、しかし企業としてのセンスはずば抜けていたのだろう、著書のとおりあれは村上隆の芸術起業なのである、時代に合っている。
先ほども引き合いに出したが棟方志功はただの芸術家以外何者でもなかった。
飯田大輝はどうする?いや、どうなりたい?
人にはそれぞれのアプローチの仕方がある、画家という括りの中にもありとあらゆる、というか全てが詰め込まれている、売れまくる画家、一枚も売れない画家、画家から嫌われる画家、画家が好きな画家、ただ描き続ける画家、途中でやめた画家
本当にいろんな画家がいる、画家に憧れて画家になる、この動機自体がもうおかしい。
飯田大輝はどうする?とりあえず薬を飲んで寝ようと思う。
今日の一枚です
No.47 対面「達磨」
死んだように生きている人間と
まるで生きているかのようなお面
人間は弱い、けれど飲み込まれないしぶとさがあれば生きて行ける、生きていれさえすれば全ては自分の心次第なんだ!
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