喪主の挨拶後、一度全員会場から退室。


スタッフの準備が整うとまた室内に呼ばれた。

祭壇や供花の生花を棺に入れていく。



他にも故人の思い出の品や折り鶴、

お箸と一膳飯、蓮の花など、

仏教ならではのしきたりに添って

スタッフから言われるままに

手渡されたものを入れていった。


途中からスタッフは喪主の夫ではなく

私に全てを話してくるようになり

また、時間が押していたのか

随分と勇み足だったので

こちらもだいぶ慌ててしまった。


正直、しきたりはよくわからず、

それをまた夫や義弟に説明しながら

手を添えて誘導し棺に入れるのは

なかなか苦労した。


今まで夫と参列した事はあったが

そういったシーンでは控えたりすることが

多かったけれど

喪主であり故人に一番近しい存在なので

今回は少しでもとやる方向にしたが


本人たちは棺に手を入れるのは

故人に触れてしまったらと思うと

怖かったようだった。


何が正解かわからず本当に難しい。

瞬間、瞬間、迷いながら

対応していくのは非常に気疲れした。


実家の両親や、夫サイドの親戚が

お花をどんどん詰めてくれて助かった。


途中、途中、義弟が高い声で

「ふーん」「ふーん」とうわぁーんみたいな

ニュアンスの泣き声のような

犬の鳴き声のような声を出して

気味が悪かった。


感性は人それぞれだが

みんなが哀しんだり目を潤ませるような

タイミングではケロッとしているのに


みんなが忙しく動いていたり

そういうタイミングではない雰囲気の時に

急に一人頭を抱えてみたり目を手で覆ったり

胸に手を当ててうつむいたりするのが

どうしても演技っほく見えて

ものすごくイライラしてしまった。


病院からずっとそんな感じだったが

一度も目を潤ませたり涙したりすることはなく

誰もが戸惑い、声をかけずそっとしておくと

数秒で立ち直り笑顔になったりもする。


施設にいた義父への面会に

何度夫が誘っても会いに行こうとしなかったし

気持ちがあるとも思えなかったが

最期となると本人なりに何か感じたのか...


いずれにしても不気味過ぎて

みんなが関わらないでおこうという

空気になっていた。。


いよいよ出棺になり

位牌、遺影を持つ人はどなたかと聞かれ

事前に決めておこうと相談したのに

夫はなんとかなるで通してきたので

結局なんとかならず固まっていた。


仕方なく、万が一と伝えておいた

息子たちに私が指示を出すと

「そっか、そうだな」と言っていた。

なんなの?事前相談で息子たちにと

話した時に何が引っかかっていたんだろう?


いつも全てを私に押し付けて来た夫。

夫と義弟を介助しながら

位牌と遺影を持ち、さらに火葬場まで

運転するなんてできるわけがない。


さすがに車内に5人は厳しいので

息子二人は私の父の車に

乗ってもらうよう促した。


そのために70代の両親にこっそり連絡し

本当は電車で来る予定だったところを

車で2時間以上かけて来てもらっていた。


ちなみにマイクロバスも検討したが

1台20人乗りで77000円。

人数が少ないので自家用車に、足りなかったら

タクシー手配の方がオススメだと

打ち合わせで強く勧められて

結局そうしたのだった。


今思うと、斎場スタッフは

視覚障害者二人を連れて移動することの

大変さをあまり理解しておらず、

人数や費用を考えた上での

マニュアル通りの提案だったように思うので

そこはこちらでよく考えて

利便性重視でマイクロバスにすれば

よかったかもしれない。


でも、マイクロバスだと

火葬場からまた斎場へ戻る事になるが

みんなが自家用車なので

火葬場で解散ができたので

それはそれで結果論だが利点ではあった。


夫が息子の一人を呼び止め

結局は私の運転する車には

夫、義弟、位牌を持った息子が乗った。


息子は助手席で火葬場までの道案内を

してくれたので助かった。


火葬場に着いてからは

私の肩に夫がつかまり、

夫の肩に義弟がつかまるという状況で

ずっと移動することになった。


夫はまだしも、義弟は何度言ってもなかなか

つかまらない上に、見えないわからないモードを

出してきょろきょろよろよろする。


時折見かねた息子たちが

位牌や遺影を抱えながらも誘導したり

「ちゃんとつかまってください」と

後ろから口添えしてくれた。

本当にカオスである。。


夫と私どちらの親戚たちも

きっとどうしたらいいかわからなかっただろうし

誰一人からも助けの手はなかった。

残念だけど、まぁ、気持ちはわかる。。


みんながそれこそ

今見ているものを見えていないかのように

心の目をつぶっているように感じた。


義弟はその後もずっとKYで

「あぁ、暗い。お兄ちゃん見えないよぅ」

などとぶつぶつ言ったり、頭を抱えてみたり

終始気味の悪い存在で、

何度も背筋が凍りつきそうになった。。


火葬の間は精進落とし。

料理の注文は絶対条件だったので

パンフレットからお弁当を注文した。


懐石料理にしたら

ただでさえ大変な食事の介助が

一層大変になってしまう。


待合室に行くと配置されたお弁当が並んでいた。

1列の長テーブルをいくつか繋げたくくりに

5人と6人で分かれていた。


おのずと5人は私たち。

迷ったあげく、夫、私、義弟で並び

向かいに息子二人についてもらった。


息子たちは気にしてくれたが

両サイドの二人を介助しながら

皆さんに親族を紹介したり

スタッフに応じたり現地払いのドリンク代を

払ったりなど雑務があり、疲れで食欲も全くなく

海老天ぷらと卵焼きを食べるだけで

精一杯だった。。


ふと横を見ると、義弟が完食していた。

生前の義父が、義弟が好き嫌いだらけで

食事の準備が大変だとよく話していたから

ものすごくびっくりした。。

本にも、打ち合わせの時

どうせ食べられない、と言っていたのに

どういうこと⁈


しかも、夫と違って、見えてるとしか思えない

キレイに空っぽのお弁当箱。

夫はほぼ犬食いだし、懐石風のお弁当は

串にさしてあるものや、殻付き貝や

飾りのお花にバラン、カップなど

一人で食べられないものがたくさんあり

こちらが対応しないとかなり難しい。


それに比べ義弟は、、結構見えてる?

口頭だけでは、弱視の症状は不明確。

見えない見えないと何もかもやらずに

ひきこもっているけど、

一体どこまでが本当なのか

疑心暗鬼になってしまった。。


60分ほど経つと呼ばれた。

火葬完了。

確認をしてから遺骨をみんなで納めた。


コレがまた大変。

落としたらと思うと不安だったが、

基本私が一人で箸で掴んで

夫や義弟には箸を持たせてその腕を

一緒に誘導するようにして骨壷へ納めた。


その後、お開きとなった。


位牌と遺影に骨壷が増えた。

どう考えても手が足りなかったが

位牌と骨壷を息子たちに、

私は遺影を持ちながら夫と義弟を

例の如く電車のように連れながら

駐車場へ向かった。



最後に駐車場で夫からご挨拶したあと、

解散となった。

ここでやっと、夫が義弟を

義実家向かいに住む従兄弟に

送ってもらうよう頼んだ。


ひとつ返事でOKしていただき、

もじもじしている義弟の腕をガシッとつかみ

車へと消えた。。


荷物類は全て持って

「私たちも一度義実家に向かいます」と

伝えた。


火葬場から義実家までは

息子が運転してくれることになり

今度は私が助手席で道案内をした。

位牌と骨壷、遺影は全て

トランクにしまった。


義実家に着いてからは

急いでこの間準備した和室まで3点を運び

ささっと帰宅するよう促した。


家族で悪臭まみれになるのはごめんだ。。


帰りの運転もそのまま息子がしてくれて

やっと少し、深い深呼吸ができた。


なんとか、終わった。。