SKYPEで打合せを予定している相手がログインされないので、ひさびさにブログを更新!
震災後、いろいろなきっかけがあり、前職で尊敬していた二人の先輩と再会する機会をいただいた。
一人は10年前の新入社員研修で「プロフェッショナルの思考と行動」という講義をしてくださったワンアソシエイツの早勢さん。アクセンチュアに入る前に某コンサルティングファームで1年間働いていた自分はそれなりにやっていける自信(過信)があったが、彼のコミュニケーションスタイルや彼が醸し出す雰囲気に圧倒され、「これがプロフェッショナルというものか・・!」と、ウソップ並みに伸びていた鼻をあっさりとへし折られてしまった。
彼と再会し、ランチを共にしながら話した内容はやはりとても刺激的で、10年前に私がもった感想が実に表層的なものだけを見て反応していたかを思い、少し恥ずかしくなった。と同時に、自分自身の成長も実感した。
彼は一貫して組織学習の理論や理念をベースに様々なアイデアを授けてくださったのだが、「課題の一部にならなければソリューションの一部にはなれない」という話が特に印象的で、その後しばらく心の底の方でくすぶり、腹落ちしないまま気持ち悪い日々を過ごしていた。「何か大きなもので人類はつながっている」という発想はすごく共感するところでもあるし、あまり人に言うとスピリチュアルだとかなんとか言われるので普段は言わないが、そういった「大いなる何か」に向かって我々は収斂していく存在なのだと思う。いや、そういう視点で世界を見なければ、この世界で生きた意味というのが実感できずに終わるのではないかと思う。
子供が出来、成長していく中で自分自身も少しずつ変わっていき、今思うのは子供達が生きる未来のこと。今我々が生きているこの時代は自分たちの親の世代が生きた結果であるならば、「今我々が生きるということは、子供達の未来の環境を作るということ」。この10年間は試行錯誤の連続で、日々生活していくのに精一杯だったし、そのくせ自分のやりたいことや欲求が勝ってしまい、思うようにいかないことも多いもどかしい日々だったように思う。家族のためにしてあげたいことが山ほどあるにも関わらず、自分の欲求や弱さが前面に出てしまい、できないことも少なくなかった。しかしこの節目に彼と会い、言葉を交わしたことによって、そろそろ生き方自体を変えていきたいと思えるようになった。
さて、先週私が尊敬する先輩の二人目、現在は同社のパートナーである市川さんとランチをご一緒させていただいた。3年か4年ぶりの再会で、前回お会いした際はちょうど新しい事業を立ち上げるタイミングでとてもバタバタされていた。そして先週お会いした彼は、すっかり事業を完成させ、次のことを見据えて試行錯誤されていた。
彼は私のファーストジョブの時のスーパーバイザーで、成果物に対するこだわりが半端なく、たくさんのことを勉強させてもらった。資料作成を指示されるときのやりとりをきっと彼は忘れていると思うが、私は一生忘れない。
市川さん:「これ、どのくらいで出来る?」
私:「3時間・・・くらいですかね」
市川さん:「麹池くんなら2時間でしょう、できるよねぇ?」
私:「・・やります!」
毎回このようなやり取りでハードルを徐々にあげられ、資料作成スキルも論点を整理する力もずいぶん鍛えられたように思う。
その彼がたった数年であれだけの事業を成したことにすごく刺激を与えられたし、今後アクセンチュアという看板を外したときにどこに向かうのか、非常に楽しみに思った(上から目線なわけではありません、すみません・・・)。
彼が語ったのは、今の社会環境の脆弱さ、不完全さであった。彼はCSR担当パートナーでもあるらしく、某NPOの支援等もされているそうだが、社会環境、インフラを整える事業をNPOではなくビジネスとして形にしていく必要性について語ってくれた。いろんなアイデアや問題意識をお持ちだったが、この話を伺いながら、私の中でいろんなことが繋がった。
彼と私は今は非常にゆるいつながりであるが、彼は彼で社会問題について日々思いを馳せていた。それは彼がやってきた事業から出る想いや、日々生活者として生きていく中で立ち上がる様々な実感から発生する、ごく個人的な活動だ。一方で私は子供の目線で未来の社会に想いを馳せている。そして同じように、いろんなところで、いろんな視点から今の社会に対して問題意識を持ち、試行錯誤されている方が世の中には大勢いる。
例えば先日「がん対策推進協議会」の定例会議を傍聴する機会があった。そこにはいろんな立場から現在のがん医療に対する問題意識を持たれた方々が集まっていた。会議の進行自体は決して議論が深まるようなものではなく不十分さを感じてしまったが、これだけ多くの方がそれぞれの立場で問題意識を持ち、かつ現場で日々試行錯誤されているのだというのを目にし、とても心強く感じた。
或いはアクセンチュアのOBの方々は「社会の窓」というオフ会を開き、社会起業家の方々や問題意識を持った方々が活発な議論をしている。
震災直後、様々な個人、団体が被災地の支援や復興のために動き始め、大きな活動となっている。しかしこれは震災というとてつもない出来事が発生した事によ り強制的に立ち上がった運動だ。このような運動を、目に見える恐怖とは別の動機付けで展開していく方法論というのが必要なのだろう。そこには行政主導のアプローチもあるだろうし、一方で「社会の窓」のように、誰かが中心となって大それた事を熱く語るのではなく、ひとりひとりがごく個人的な体験から発想し、人と交わることで大きなムーブメントに繋がっていくような、ゆるやかなアプローチもあるだろう。後者のアプローチのように、ごく個人的でバラバラな活動が如何にして一つの大いなるものに向かって収斂していくのか、それがオットー・シャーマーが著書「U理論」で主張していることの一つであろうし、私がここ数ヶ月もやもやと持ち続けているものの正体に迫る一つの道筋のように思えた。
社会人になって10年、結婚して10年というこの節目にあって、彼らと言葉を交わしたことは大きなきっかけとなった。彼らのような存在が身近に存在する事は非常に心強く、また何かを成すのに自分が中心となる必要はないのだと思えたことは非常に重要な発見だと思う。
「課題の一部にならなければソリューションの一部にはなれない」
私は彼らとつながることによって課題の一部となるのだ。
震災後、いろいろなきっかけがあり、前職で尊敬していた二人の先輩と再会する機会をいただいた。
一人は10年前の新入社員研修で「プロフェッショナルの思考と行動」という講義をしてくださったワンアソシエイツの早勢さん。アクセンチュアに入る前に某コンサルティングファームで1年間働いていた自分はそれなりにやっていける自信(過信)があったが、彼のコミュニケーションスタイルや彼が醸し出す雰囲気に圧倒され、「これがプロフェッショナルというものか・・!」と、ウソップ並みに伸びていた鼻をあっさりとへし折られてしまった。
彼と再会し、ランチを共にしながら話した内容はやはりとても刺激的で、10年前に私がもった感想が実に表層的なものだけを見て反応していたかを思い、少し恥ずかしくなった。と同時に、自分自身の成長も実感した。
彼は一貫して組織学習の理論や理念をベースに様々なアイデアを授けてくださったのだが、「課題の一部にならなければソリューションの一部にはなれない」という話が特に印象的で、その後しばらく心の底の方でくすぶり、腹落ちしないまま気持ち悪い日々を過ごしていた。「何か大きなもので人類はつながっている」という発想はすごく共感するところでもあるし、あまり人に言うとスピリチュアルだとかなんとか言われるので普段は言わないが、そういった「大いなる何か」に向かって我々は収斂していく存在なのだと思う。いや、そういう視点で世界を見なければ、この世界で生きた意味というのが実感できずに終わるのではないかと思う。
子供が出来、成長していく中で自分自身も少しずつ変わっていき、今思うのは子供達が生きる未来のこと。今我々が生きているこの時代は自分たちの親の世代が生きた結果であるならば、「今我々が生きるということは、子供達の未来の環境を作るということ」。この10年間は試行錯誤の連続で、日々生活していくのに精一杯だったし、そのくせ自分のやりたいことや欲求が勝ってしまい、思うようにいかないことも多いもどかしい日々だったように思う。家族のためにしてあげたいことが山ほどあるにも関わらず、自分の欲求や弱さが前面に出てしまい、できないことも少なくなかった。しかしこの節目に彼と会い、言葉を交わしたことによって、そろそろ生き方自体を変えていきたいと思えるようになった。
さて、先週私が尊敬する先輩の二人目、現在は同社のパートナーである市川さんとランチをご一緒させていただいた。3年か4年ぶりの再会で、前回お会いした際はちょうど新しい事業を立ち上げるタイミングでとてもバタバタされていた。そして先週お会いした彼は、すっかり事業を完成させ、次のことを見据えて試行錯誤されていた。
彼は私のファーストジョブの時のスーパーバイザーで、成果物に対するこだわりが半端なく、たくさんのことを勉強させてもらった。資料作成を指示されるときのやりとりをきっと彼は忘れていると思うが、私は一生忘れない。
市川さん:「これ、どのくらいで出来る?」
私:「3時間・・・くらいですかね」
市川さん:「麹池くんなら2時間でしょう、できるよねぇ?」
私:「・・やります!」
毎回このようなやり取りでハードルを徐々にあげられ、資料作成スキルも論点を整理する力もずいぶん鍛えられたように思う。
その彼がたった数年であれだけの事業を成したことにすごく刺激を与えられたし、今後アクセンチュアという看板を外したときにどこに向かうのか、非常に楽しみに思った(上から目線なわけではありません、すみません・・・)。
彼が語ったのは、今の社会環境の脆弱さ、不完全さであった。彼はCSR担当パートナーでもあるらしく、某NPOの支援等もされているそうだが、社会環境、インフラを整える事業をNPOではなくビジネスとして形にしていく必要性について語ってくれた。いろんなアイデアや問題意識をお持ちだったが、この話を伺いながら、私の中でいろんなことが繋がった。
彼と私は今は非常にゆるいつながりであるが、彼は彼で社会問題について日々思いを馳せていた。それは彼がやってきた事業から出る想いや、日々生活者として生きていく中で立ち上がる様々な実感から発生する、ごく個人的な活動だ。一方で私は子供の目線で未来の社会に想いを馳せている。そして同じように、いろんなところで、いろんな視点から今の社会に対して問題意識を持ち、試行錯誤されている方が世の中には大勢いる。
例えば先日「がん対策推進協議会」の定例会議を傍聴する機会があった。そこにはいろんな立場から現在のがん医療に対する問題意識を持たれた方々が集まっていた。会議の進行自体は決して議論が深まるようなものではなく不十分さを感じてしまったが、これだけ多くの方がそれぞれの立場で問題意識を持ち、かつ現場で日々試行錯誤されているのだというのを目にし、とても心強く感じた。
或いはアクセンチュアのOBの方々は「社会の窓」というオフ会を開き、社会起業家の方々や問題意識を持った方々が活発な議論をしている。
震災直後、様々な個人、団体が被災地の支援や復興のために動き始め、大きな活動となっている。しかしこれは震災というとてつもない出来事が発生した事によ り強制的に立ち上がった運動だ。このような運動を、目に見える恐怖とは別の動機付けで展開していく方法論というのが必要なのだろう。そこには行政主導のアプローチもあるだろうし、一方で「社会の窓」のように、誰かが中心となって大それた事を熱く語るのではなく、ひとりひとりがごく個人的な体験から発想し、人と交わることで大きなムーブメントに繋がっていくような、ゆるやかなアプローチもあるだろう。後者のアプローチのように、ごく個人的でバラバラな活動が如何にして一つの大いなるものに向かって収斂していくのか、それがオットー・シャーマーが著書「U理論」で主張していることの一つであろうし、私がここ数ヶ月もやもやと持ち続けているものの正体に迫る一つの道筋のように思えた。
社会人になって10年、結婚して10年というこの節目にあって、彼らと言葉を交わしたことは大きなきっかけとなった。彼らのような存在が身近に存在する事は非常に心強く、また何かを成すのに自分が中心となる必要はないのだと思えたことは非常に重要な発見だと思う。
「課題の一部にならなければソリューションの一部にはなれない」
私は彼らとつながることによって課題の一部となるのだ。
