決して高みから支配される方ではない神と、目に見えない神を唯一見えるようにしてくださったイエスの、地を這いずり回るような周辺・底辺での生活と、その中から生まれる人格の尊厳の回復、憐憫ではなくはらわたを突き動かされる共感、与えることではなく共有することの中に神の救いと解放の力があり、わたしたちが異性愛というイデオロギーに自分を歪曲してあわせることなく、ありのままのわたしたちで神とであい、キリスト者としての生活をおくることに何の問題もないということ(むしろ問題があるのは教会の中である、ということ)を一年かけて分かち合いました。
次回からは、その後の教会の発展と、イエス論の違いによる宣教論とその後など、現代のわたしたちが属しているであろう教会の姿について見ていきたいと思います。
また、キリスト教の諸儀式である聖礼典・聖奠・秘蹟についての意味と意義についても様々な角度から考えてもみたいと思います。
皆さんのご参加をおまちしています。

