ΙΧΘΥΣ -イクトゥス--イクトゥスロゴ
北海道セクシュアルマイノリティ・クリスチャンコミュニティ
『イクトゥス』5月の集会を開催します。

■日 時  2009年6月28日(日曜日)  準備17時集合

■会 場  参加者へ直接、連絡いたします。

■会 費  無料 (席上献金あり)


当日は、簡素なプログラムを通して感謝と讃美をささげ
集会の後、かんたんな分かち合いの時間を持ちたいと思います。

集会には、クリスチャン、またはキリスト教に関心のある方であれば
教派に関係なく、どなたでもご参加いただけます。
キリスト教に関心のあるLGBTの方に声をかけて下さると幸いです。
ただ、ストレート(異性愛者)の参加は、ご相談ください。
排除するのではなく、わかりあってゆくために。

詳しい開催場所等については、参加者に直接お知らせいたします。
みなさんのご参加、心よりお待ちしております。


Bless the Lord with us!


☆★☆★☆

『ΙΧΘΥΣ【for LGBTI】』コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=778274

連絡先アドレス
icthus_lgbti@yahoo.co.jp
ΙΧΘΥΣ -イクトゥス--イクトゥスロゴ
北海道セクシュアルマイノリティ・クリスチャンコミュニティ
『イクトゥス』5月の集会を開催します。

■日 時  2009年5月24日(日曜日)  準備17時集合

■会 場  参加者へ直接、連絡いたします。

■会 費  無料 (席上献金あり)


当日は、簡素なプログラムを通して感謝と讃美をささげ
集会の後、かんたんな分かち合いの時間を持ちたいと思います。

集会には、クリスチャン、またはキリスト教に関心のある方であれば
教派に関係なく、どなたでもご参加いただけます。
キリスト教に関心のあるLGBTの方に声をかけて下さると幸いです。
ただ、ストレート(異性愛者)の参加は、ご相談ください。
排除するのではなく、わかりあってゆくために。

詳しい開催場所等については、参加者に直接お知らせいたします。
みなさんのご参加、心よりお待ちしております。


Bless the Lord with us!


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『ΙΧΘΥΣ【for LGBTI】』コミュ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=778274

連絡先アドレス
icthus_lgbti@yahoo.co.jp
今日はイースター・サンデー(復活祭)でした。今日から一日一日とイエスの復活を教会は祝うのですが、新しく通い始めた教会での初めてのイースターはイー スターだけあってミサの参加者も多く、洗礼を受けられた方も三人いて、とっても賑々しく、荘厳に、でもアットホームに行われていてなんとなくうれしい気分 になりました。でも教会の中でなにか人前に出たり自己紹介するとかそういった類のは苦手なんですよ。自分を出さないように徹底的に叩き込まれてしまったせ いで。「話すのは説教台に上ったとき」という前提のもと養成されていますから、なんとなく目立つという状況になってしまうと何気にパニックおこしてしまい ます。なので教会主宰のお祝い会は参加せず、帰り道すがらいろいろ買出しして、夕方開く「イクトゥス…北海道のLGBTIクリスチャンのコミュニティ」の 復活祭パーリーの準備をしました。

パーリーは準備が終わると、最初に晩祷を唱えて、みんなで持ち寄ったお料理を次々と平らげていきました。久しぶりの顔も初めてのかたも、良い交わ りの時が与えられたとおもいます。体力的にはすこぶるしんどいのですが(寝てませんから…汗)集いのなかに笑顔もシリアスの顔もそれを乗り越える顔もあっ て、やっぱ開いてよかった!と思いました。またなにかとパーリーしたいですね。いや、まじで。

今日のミサでマルコによる福音の記事が読まれました。

16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
16:2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。
16:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
16:4 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。
16:5 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。
16:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
16:8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

「イスラエルの王万歳」と諸手をあげてイエスを歓迎した同じ口がたったの四日で「あんな男などしらない!さっさと殺してしまえ!」と最高の罵り言 葉を吐くまで変貌する人間の弱さと二面性。「知らない」だなんて言いたくはない、でも「知っている」と言ってしまえば「仲間」だとバレて今度は自分が殺さ れてしまうかもしれない。そんな恐れや疑いとの駆け引きのけっか、関わりのすべてを投げ捨てて、また、しっかりと合図をして敵に売り払う弟子たち。

イエスの亡骸が納められている墓へ急ぐ婦人たちは道々「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」ということを心配しながらやって くる。でも、もうそこには墓の入り口の石はなく、イエスの復活を知らされ、震え上がるほどの驚きが彼女らにのぞむ。ただ恐ろしかったのではない。復活とい う神の業の介入を目の当たりにし、そして触れたというこの恐怖こそが、復活の出来事を雄弁に「証言」している。

万歳といった同じ口でおまえなど知らないと裏切った弟子たちの恐れや疑惑、疑いや嘆きと、墓に急ぐ女性たちの一番の心配事である石をどうのけても らうか、ということは似ているように思う。信頼への欠如、本質の見落とし、人間的弱さの浮き彫り。でも、それで結構なのではないだろうか?イエスはそれら すべてを背負われて十字架につき、復活されたのだから。

だから、心配していた女性たちが着いたときには「目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。」女性数名の 力では到底解決できない巨石はもうすでに転がしてあったのである。ここから空虚の墓とそこから転がり落ちてゆく墓石の意味を見ることができる。しかも僕ら が信じるから与えられるという条件付きのものではなく、常にイエスが選考して業をおこなってくださり、十字架を担う力も復活に結ばれていくことも、常にイ エスが手を差し伸べてまっていてくださる。

わたしたちの人生のなかの様々な問題、落胆、嘆き、悲しみ、憎しみ、闇、それらすべてを表す墓の石はキリストの復活によってもうすでに転がされていた。わたしたちが心配する以上に、イエスの計らいは深く、そしてとてもシンプル。

彼女たちは体験するまでわからなかったことでも、いまこの2000年代を生きる僕たちにはもうわかっていること。そう、落胆、嘆き、悲しみ、憎し み、闇は、そのままでおわることなく、イエスの十字架と復活の栄光に結ばれるとき、それらは僕らが心配する前に変えられ、心配する以上の結果へと導き出さ れる。これが十字架と復活の力。

嘆きはけっして嘆きに終わらない。悲しみはけっして悲しみに終わらない。
そう考え、そう感じてしまう自分も丸ごとひきうけてイエスの十字架と復活の結ばれるとき、嘆きは歓呼の叫びに、悲しみは喜びに変えられていくとい うことを、キリスト者は知っている。それは比較なく、条件もない、自分自身の生きる力を(すなわち苦しみを引き受けていく力を)得て、それらを可能にして いく力に変えられていくことを、僕たちはしっているのだ。

ただ悩んでもしかたがない、ただ抑圧されてもしかたがない、ましてや天国での福楽を待ち望みだなんてもってのほか。今、ここの苦しみ、落胆、嘆 き、悲しみ、憎しみ、闇をてばなさなくてはならない。イエスの十字架を担うのに、それらを握り締めていてはならない。空の手で、苦しみも向かい合い、復活 の現実に目を開かれ手いくとき、常に先立つ恵みと喜びがあることを、忘れないですごしたいものだ。