こんばんわ

前回の続き、part.3を書いていきます。

【転機と決断】
ソフトバンクの初期のころは孫にとってつらい時期だった。設立当初、重度の肝炎にかかり何年間も悩まされ続けた。しかし、初期の症状から回復すると、改めてビジネスに対する人一倍の情熱を発揮した。それは1994年のことで、ちょうど新たな通信の潮流が現れてきていたところだった。マイクロチップが産業界に変革をもたらすことを理解したときと同じように、インターネットが人々の生活の奥深いところにまで影響を及ぼすだろうということに気がついた。

 もう一度アメリカに出かけると、今度はその天分を発揮してバイ・ドットコム、E*トレード、Eローン、ウェブバンなど設立間もないインターネット企業に分散投資をした。その中の1社にヤフーという名のインターネット関連会社がある。その株式の30%を1億ドルで買い入れた。狙い通りか偶然かはともかく、孫はこれでインターネットの大当たり株を引き当てることになった。ヤフーは1996年に株式の公開を果たす。

 インターネットが出現する以前に買収していた企業のいくつかを手放し、孫はその経営をインターネットの世界に集中した。シスコとインテルで働いた経験のあるゲリー・リーシェルを招き、ソフトバンクの新たなベンチャーキャピタル部門、ソフトバンク・テクノロジー社の経営を任せることにした。投資形態はリミティッド・パートナーシップファンドで、カリフォルニア州サンノゼから運用が行われている。このソフトバンク・テクノロジーは最初のファンドの募集で日本から1億7000万ドルを調達した。

1999年の終わりが近づくにつれ、孫はその目を日本に向けるようになる。ソフトバンクの日本のマーケット進出にあたって、アメリカで採用したものとは違う手法を取った。いくつもの企業の株を過半数買収したり創業当初から育てたりすることによって、垂直的に統合されたインターネットの巨人を生み出した。日本のeコマースがアメリカに遅れをとっていた状況を逆に利用して、日本のインターネット業界に確固とした地位を築いた。孫の計画が成功したカギはヤフージャパン株の過半数を買い取ったことだ。

 孫は、ヤフーのポータルサイトを通じて、ネットワーク上の消費者を、ソフトバンクがその一部あるいはすべての株を持っている企業のビジネスに誘導できればよいと考えた。そうした企業には、E*トレード、ジオシティーズ、ブロードキャスト・ドットコム、カーポイントなどの日本法人もある。

 インターネットに対するこうした巨額の投資によって、孫とソフトバンクの資産がナスダックの資産と密接に連携するようになった。新たなミレニアムの始まりとともに、ソフトバンクは急降下するジェットコースターに乗せられてしまい、孫の個人資産もひどい打撃を受けた。2000年の初め、孫の個人資産は4000億ドルも減少した。その年が終わるころには、ソフトバンクの時価総額は1900億ドルから230億ドルに落ちていた。

 とはいえ、帝国を建設するという孫の大胆な野望に対する最終的な評決が下されるのはまだまだ先のことだ。ドットコム企業のバブルははじけたかもしれないが、eコマースは依然として成長を続けており、世界の経済で重要な役割を演じているからだ。孫にとっての課題は、不況下におけるソフトバンクの経営の再構築と指導力だ。1997年、100億ドル企業に育てるという目標について聞かれたとき、どこまでも大胆な夢を追いかける孫はこう答えている。

「数字そのものがゴールではない。それは単なる指標であり、マイルストーンにすぎない。私が今考えているのは300年スケールの計画だ」

 孫がまだ当分の間、経営者の座にとどまるのは明らかだ。



今回で孫正義さんのお話はおしまいです。

次回の偉大な経営者は、誰もが知っている伝説の経営者。その存在感は他のどの経営者と比べても圧倒的に強く、まさに偉大。

ちなみに私が起業を目指した原点の人です笑

では。