実験によってその存在が確認されるような「気」なら
それほど興味も覚えなかっただろうと思う。
「気」は見えないから面白いのである。
科学的に計測される程度の「気」は、
手にとって遊べるオモチャのようなものだ。
「愛」というのも又、目に見えないものだ。
しかし、私は「愛」というものが偉大な力を
発揮する場合があることを疑わない。
「愛」や「憎しみ」は目に見えないが
それをまざまざと感じることはできる。
私は「気」は、
あくまで感じる世界であると思っている。
「愛」の数値を証明されたところで
それには何の関心も無いのと同じである。
五木寛之「気の発見」の序文
ロンドンで気功治療を行っている望月勇さんとの対談
「気」の話をすると、
「本当にできるかどうか見せて。」
「効いたら信じる。」
みたいな話が多いけど、
「愛」「憎しみ」を見せてと言う人はほとんどいないですよね。
「あなたの愛を見せて欲しい。」
と迫られた経験のある人なら、
「気」を見せろと迫る人とは
付き合わないほうが無難だとわかるかも。
迫って欲しい人もいるけどね。