ブログを書くのを一寸サボっている間に「多摩川の桜」は満開を通り過ぎて、枝には小さな実をつけました。わかりますか?花のすぐ下にまだ青い硬い実です。これもサクランボ。

こちらが3月30日満開の同じ桜。花曇りが似合います。

そして気の早い「五月」4月に入ってすぐ開いて、蕾もたくさんつけてます。

この10日間相変わらず、国の内も外もろくなニュースがないです。でも一つだけ、水泳の池江璃花子のオリンピック参加資格の獲得というのは凄いことだと感動させられました。去年の開会予定日のセレモニーに立たされた時には、痛々しくさえ思えて辛かったです。でも、19歳の、まだ少女が白血病の宣告を受けて2年足らずで克服してしまう。

オリンピック開催には反対です。でも彼女にとってはどうでしょう。もちろん開催をして欲しいでしょうけど、それ以上の喜びを勝ち取った彼女には小さなことかもしれません。そんな、彼女を利用して、コロナ禍開催をアピールしてほしくはないです。

ゲームキャラの着ぐるみを着て、一国の最高責任者が世界に恥を晒したミエミエ人気取りの前回五輪の閉会式。憲章の政治利用をしないという原則はすでに形骸化。コロナを乗り越えた証とか、震災復興オリンピックとか、嘘ばかりでなんとか開催を目指すのは、利権を持つ方の醜い縋りつきか。それとも莫大に膨れ上がった税金利用の誤魔化しなのか。

 そんな矢先に中国の冬季オリンピックにアメリカが不参加のニュース。アメリカ政府は完全否定しているけど、そんなニュースが流れることがもう、政治利用の産物以外、何があるのか。。やめましょう!今年のオリパラ。

 コロナ1年で10万人超が職を失っている。それは顕在化している分だけで実感としては、「そんなもんじゃない!」と感じてます。

相変わらず株も3万前後で、証券アナリストたちはバブルではなくて急落することはないと。でもこれは格差の産物だから。日経平均株価は、機関大企業とか最近台頭した人気の新興企業をアトランダムに選んだ企業の平均値。格差の広がる社会にそぐわないと思っています。

格差はアメリカも同じようです。いや、日本以上かも。

前回は映画「ミナリ」の話をしました。今週はもう一つのオスカー候補「ノマドランド」を見てきました。

ミナリは1980年代の話ですけど、ノマドランドは2000年代の話。どちらも低所得者層の話です。

監督はミナリが韓国系移民2世 ノマドランドは中国生まれ高校からアメリカ育ち。

グラミーもそうでしたが、アカデミーも世の中の趨勢に逆らえないで多様性に答えているのではとの勘ぐりもあります。でも、1950〜60年代「赤狩り」の対象となったハリウッド西部劇映画全盛の時代。1970年代のニューシネマの時代。1980年代から続くスピルバーグ・コッポラの時代、そして去年のパラサイト家族の受賞。

映画・音楽がどこまでこんな時代に存在できるのか。

日々考えている自分です。