前に書いたのが9月19日。2週間空きました。もう10月です。

まだ暑かったり、台風が来たりでなかなか秋の写真が撮れませんでしたけど今日はありました。

例年よりちょっと遅いけど彼岸花。

一昨年までは、この辺一帯はびっしりとこの花が咲き誇っていました。

もう一枚

どうでしょう?鉄塔の足元にひっそり。

これは、去年の9月の台風だと思うのですけど、アレチウリ(荒地瓜)という草が多摩川の河原を一面覆うってしまいました。

去年の9月の台風では二子のあたりは浸水で、野球場、サッカー場、ラグビー場、テニスコート跡形もなく流れ着いたゴミでおおわれました。

全部ではないですけど野球場はすっかり元どおり、テニスコートはお金も時間もかかるんですね。ちょうど一年目の先週復活。

でも生き物たちは元どおりにはならないんです。

土手一面だったススキもまばらな風景。

でも、ポツンと一本、人の背丈くらいの小さいな柿の木が実をつけてました。

周りはまだまだ整地されてないので台風をしのいだのです。

桃栗3年柿8年と。小さくても8年経っているのでしょうか?生きのびるのにあわてて実をつけたのでしょうか。

台風からちょうど一年経って、人の手が入ったところは元どおりのようですが、自然は大きく様変わりしていることに気がつかされました。

つい先日都知事さんが一年経った多摩川に視察しに来ました、そして治水の装置を検討しましょうと。

毎日のようにこの風景を見ていると、違う気がします。

今年の初めに80を超えて亡くなった、通称多摩川博士が土手の上まで押し寄せたゴミを見ての言葉を思い出します。(このブログを書き始めた今年の春に紹介した方です。)

「子供の頃には、この土手から川に飛び込んで遊んだ。こんな野球場やサッカー場が必要なんだろうか?」

世界がコロナでいっぱいいっぱいですけど、先日テレビで落合陽一と台湾のオードリータンの対談を見ていました。コロナ後の世界を話していました。デジタルによる新しい資源、限界のない資源。その生産性。正直、なるほどとは思いましたし、そうなるかも、、とも思いましたけど。それでいいのかとの疑問も残りました。

自然との共存というのは、これから避けてはいけないテーマ。そんな時、次の言葉を見つけました。どちらを選択し、どちらが自分を救うのか、それは個人の選択です。

ちょっと長いけど紹介します。角旗唯介さんという探検家の方の言葉です。

「そもそも探検とはシステムの外側に出る行為で、ある意味、社会や時代の価値観の否定でもあります。(中略)社会の役に立つ基準とは、生産性に寄与することだと思います。国家や企業は国力や利益のために有為な人材を求めます。公共心や道徳心をも含む『社会の役に立つ』人材を求めます。『役に立つ』の裏に想定されているのは、『役に立たない』人たちです。」「中略〜己の内側からわき上がるものに従って生きることで、人生は固有なもになるのです。これが内在の論理です。内在を経なければ、人生は外側の価値観を生きるだけになってしまいます」

朝日新聞のインタビュー記事からで。

この記事には、このほかにも素敵な言葉がたくさんありますので、またご紹介させてください。

ほかにも写真も、見た映画も、素敵な言葉も、たくさんありましたけど、次にします。今度は日にちを開けずに書きたいとおもってます。