熊本の震災に対して私の中で生まれる違和感と自分に対しての怒り | 福井美由起 キラポジなブログ

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この度の熊本の地震もそうですが

東北の大震災の時もそうでした

 

 

自然災害の時に

 

自分の非力さを痛感します。

 

 

救援物資を手配したり

 

義援金を送る事は出来ますが

 

そういう事しか出来ない

 

 

現地に行ったりすると迷惑になるだとか

救援物資もありがた迷惑になるとか

 

もう何がいいのか正直わからなくなるし

 

救援物資を送っても

義援金を送っても

 

心はモヤモヤするばかりです

 

 

お友達が熊本へボランティアの人と一緒に向かうというので

そこのライングループの現地の人から送られた内容に

 

【何も持たず避難させられてる人達が沢山居ます。洋服も何もないので

着なくなった服や使っていないシャンプーなどあれば送ってください。お願いします】

 

 

とあって

 

友人のボランティア組の出発までの時間が

差し迫っていたので

 

取り急ぎスーツケースに役に立ちそうなものを詰め込むだけ詰め込んで

ダッシュで届けてきました

 

 

 

 

その後に更にモヤモヤしてきてしまいました。

 

こんなのでは不足感満載なので

 

義援金も振り込んだのですが

 

その後も全然心は曇ったまま

 

これって本当に為になってるのだろうか

 

【いいことをしている気持ちになってるのではないだろうか】

 

【何か自分は役に立ってると思いたいだけなのではないのか】

 

 

そんな気持ちが襲いかかり

 

 

苦しくて

苦しくて

 

自分に腹がたち

その気持のやり場もない

 

 

そんな日々です。

 

 

 

熊本の親友に

 

何か出来ることはないか?

 

と聞いても

 

【大丈夫。今はただ祈って欲しい】

 

と。

 

 

そうか

 

祈るしかないのか

 

 

そんなことしか出来ないのか

 

また悲しさに似た怒りが自分を襲う

 

 

 

 

 

ボランティアの形は様々ですが

 

 

私はいつも

世界の災害や紛争地帯でのニュースを観る度に

 

何もそこに変化をもたらせない己の非力さに怒りを感じます

 

寄付だって

少額を突っ込んでも

全く意味をもたらさないし

 

 

それが10万だろうが

30万だろうが

100万だろうが

 

きっと私の気持ちはすっきりしない

 

 

 

その気持の出処は

 

【根本的解決にはなっていない辛さ】

 

から来るのだと思いますし

 

 

【いいことをしている気持ちになってやしないか。相手を可哀想だと哀れんでやしないか】

 

という自分に対しての葛藤から来るものでもあります。

 

 

 

 

 

私は相手を憐れむのが大嫌いなんです

 

相手の尊厳を奪う事が吐き気がするくらい嫌い

 

 

母が亡くなった時も本人が選んだ道だと言い聞かせましたし

 

志穂が癌で亡くなった時も

最後の最後まで病人扱いはしませんでした。

 

 

 

【可哀想】

 

この気持を相手に対して持つことが

自分の中では非常に違和感があって

 

そう思った時点で

 

相手を憐れんでる事が

 

【尊厳を奪ってる】気がしてならないのです。

 

 

 

 

さっき熊本でボランティアに駆けつけた友人から現地の写真が送られてきました

 

 

【皆頑張ってるよ!いい顔してるよ】

 

 

て。

 

写真の中の子どもたちの笑顔が

幾分救ってくれたような気がします

 

 

 

 

 

そして

 

 

もっともっと変化をもたらせる力をつけていきたいって

 

本物の支援が出来る力をつけていきたいって

 

 

心から思いました。