親友
お風呂のコメント たくさんありがとうございましたm(_ _)m涙
まだまだ復旧していないおうち たくさんあります。
精神的にもキツくなるからなぁ…。
地元の友達のとこもまだみたいだし…心配だな…。お風呂貸すよっては言ったんだけどね。泣
そういえば、30日 親友の住んでいる 名取市に 妹と母と共に行ってきました。
美田園あたりは道路が砂っぽくて ここまで波がきたんだなぁとわかりました。
歩道の脇には靴や長靴が落ちていたりしました…
意外とここら辺は被害ないのかなぁ?なんて不思議に思っていたら 橋を渡った途端…
景色がガラッと変わった。
ここはどこ状態…
まるでテレビでみる戦争の後みたいだ…
高校時代にみた景色とは全く違いすぎて混乱した…。
何がなんだかわからないうちに親友の家に到着。
親友が家から出てきてくれて お母さんも来てくれた。
来るなり親友のお母さん
『この度はおめでとうございます~いーチャンもママになるんだねぇ~お腹触ってもいい?』
って…
自分の事じゃなくあたしの事を気にかけてくれて 二人の元気そうな顔をみたら 涙が溢れてきた。。
お菓子やインスタントラーメンなどを差し入れして少しばかりですが お見舞い金を渡してきました。
幸い親友の家は 家の入口に大木が流れ着いて 家の敷地はあまり荒れていなかった様でした。
窓ガラスも割れておらず 床下浸水程度で済んだそうです。
昼間 家を片付けて昨日からやっと自宅で生活できるようになったそうです。
けど車は4台ダメになり 地震がきたとき仕事にいっていたお父さんの車だけが無事だったそうです。
自宅の周りには 大木 木屑 ゴミ…ジュースやアイスまでが散乱していた。
豚までもが流れ着いていたそうです。
けど、本当に本当に皆の命が無事でよかった…。
その後 閖上方面に行ってきました。
閖上…悲惨だった…
歩道に船や車が乗り上げてたり。どこも瓦礫の山…。
閖上のローソンにはハイエースが突っ込んでたり…
ローソンから先は右折しかできなかった。
閖上大橋はどうなったんだろう?見ることもできなかった。
本当に凄まじい光景だった…。
妊婦だし見ない方がとも思ったけど、テレビの絵だけではやっぱり現実を受け入れられなかった。
妊婦だからとか言って見なかったら後悔する この目で見て 現実と向き合わなきゃって思った。
我が子にもいつか必ず 伝えたいと 心から思った。
なんていいながらも今でも毎朝起きると 嘘じゃなかったんだって思う。
閖上は跡形も無かった…。
夏に行った花火大会 海水浴、高校時代にいった販売実習…。
あのときにスイカやアイスをごちそうしてくれたおじいちゃん 大丈夫だったかな…もうあまり覚えてないけど…いい人たくさんいたな…。
あたしの母校もぐちゃぐちゃになり もうあの校舎は使えないんだって
かなり悲しいしショックです…。
あたしは毎日死亡者名簿を 同級生などがいないかどうか確認してる。
今のところいなそうだし話も聞かない。けどやっぱり心配…。
3日には急遽石巻の姉の家に行ってきました。行く途中 蒲生 仙台新港 多賀城 塩釜 松島を通ってきました。
蒲生もすごくて 立派な家が泥だらけに 田んぼには車がゴロゴロ…皆さん我が家を一生懸命掃除していました。
新港は多くの新車が津波にやられ廃車になってた…。
フェンスは倒れて曲がり、倉庫は火事になった後のボロボロな状態…
震災の1ヶ月程前にいった松島…。
どこも泥だらけで お店の人たちは皆 掃除して店内は大分綺麗になってた。
姉の家はテレビでみる石巻とは別世界。全く被害がなくてビックリした。買い物も大分できるようになったみたいだし、元気そうでなにより。
いつまでも地震の話ばかりと思われるかもしれませんが 自分の周りが無事だったからって やっぱり自分の産まれ育ってきた宮城がこんなことになっているというのはショックです…。
旦那にも話してわかるけどさぁとは言ってたけど…いつまでもくよくよしてらんないのはわかってるし、決してくよくよしてるわけぢゃないけど。
今まで見てきた景色がガラッと変わったのは地元の人にとっては地元の人しかわからない苦しさだと思う。
いつまで経ってもずっとずっと悲しい出来事にかわりはない。
だからといって自分はマイナスになってる訳ではない。ただただ悲しい。
でも あたしは前向きですよ。
毎日家族がいてくれるから 笑顔で生活してるし。
お腹の赤ちゃん元気でいてくれてるし。
何だかよく伝わらなそうな文章だけど
こんな感じです。
一昨日辺りからお腹がよく張って今日もハリハリです。
車で遠出したからかな?
前駆陣痛ぽいのこの前一回らくになったんだけど、またきた!
この前の検診のときも 子宮口開いてなくてまだまだ産まれないって言われたし、まだかな~。
けどおしるしもまだだしいつ陣痛くるのかハラハラな毎日です。


