八月十五日はとても大切な日でした。そうですね終戦記念日。


 戦前の職業野球で活躍した大阪タイガース(現阪神)の西村幸生投手の母校、三重県立宇治山田高(旧宇治山田中)と、大日本東京野球倶楽部(現巨人)の沢村栄治投手の母校、京都学園高(旧京都商業)が15日、同県伊勢市楠部町の市倉田山公園野球場で追悼試合を行った。太平洋戦争で戦死した非運の名投手に思いをはせ、後輩たちが平和の尊さをかみしめながら、プロ野球の黎明(れいめい)期を代表する両投手の胸像が向かい合うように建てられている同球場で白球を追った。


 両投手は伊勢市出身。沢村は3度のノーヒット・ノーランを達成するなど5年間で63勝を挙げ、豪速球で数々の伝説を生んだ。7歳年上の西村は3年間で55勝し、同郷の沢村との対決には特に執念を燃やし、直接対決は4勝1敗と勝ち越した。しかし、2人とも召集され、西村はフィリピンで、沢村は台湾沖で帰らぬ人となった。


 今年が西村の生誕100年にあたることから、宇治山田高校硬式野球部OB会が沢村の出身校を招いて記念試合を開催しようと企画した。


 西村のおいの伊勢市本町、うなぎ店経営、西村隆明さん(67)は「(自分が)生まれてすぐに(幸生は)満州へ行ったため、会ったことはないが、父親からは『明治生まれの侍だ』と聞かされた」と話す。


 西村の長女のジョイス津野田幸子さん(72)は、西村と日系2世の米国人、故・末子さんとの間に生まれた。1941年の開戦で父母の祖国は敵同士に。「自分に負けず困難に立ち向かえ」という父の遺訓を守り、ハワイ大の名誉総長まで務めた。


 ジョイスさんはハワイから駆け付け、試合前、父の教えを選手たちに伝えた。宇治山田高の主将、松井慎至君(17)は「西村さんは野球部の誇りです。彼はもっと野球がしたかったはず。遺志をしっかり受け継いでいきたい」と話した。


 試合後、ジョイスさんは「夢でもいいからお父さんの野球をしている姿を見てみたかったなあ」とつぶやいた

mixiニュース参照

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1309805&media_id=2


野球が好きなので沢村さんなどが戦死したことも知っていたし、それまでに手榴弾の投げすぎでだんだん全盛期のピッチングができなくなってきていたことも知っていた。もちろん実際に見たわけではないが、やりたいことができないとはやはりつらいことだったとおもう。


これだけじゃなくすべての人々の想いは忘れてはいけないことだし、繰り返してはいけない。