8、カタカムナ物性哲学と神道と國體

 

 

 では、以上のカタカムナ物性哲学は、日本の「神道」にどのように反映されたか、さらにはそこから導かれる日本特有の国家観である「國體」とは何かを、「記紀」の内容も参考にしながら説明してみます。

 

 まず、「三種の神器」のうちの「八咫鏡」は、鏡を見ている自分(内側)と映し出される自分(外側)という二元性を表しており、神道概念の「ムスビ」に当たり、「あらゆるものが対を成す関係性の中にある」ことを意味します(アマウツシ)。

 

 次に「草薙剣」は、「人間の意思があらゆるものの原点であり、秩序を形成している」ことを表しており、神道概念の「ククリ」に当たります(カムウツシ)。

 

 最後に「八尺瓊勾玉」は、一点から発して球体を為す形をし、球の真ん中には穴がありますが、白と黒の二つが並んで正反対を向いた「太極図」になると、個から全が生まれ、全は個に帰る旋転の繰り返しを意味しています(メクルテマワル)。

 

 

 以上を仏教に対応させると、「八咫鏡」は「縁起」ないし「中観(ちゅうがん)説」に、「草薙剣」は「唯識(ゆいしき)説」に、「八尺瓊勾玉」は「一即一切、一切即一ないし輪廻思想」に当たります。

 

 これらに関連して日本書紀では、国家統治の理念として、「積慶」「重暉」「養正」の三位一体(=八紘一宇)としていますが、これは「ホツマツタエ」でいう「卜(うらべ)の教え」「鏡の教え」「鉾の教え」に当たります。

 

 一方、古事記の「天孫降臨」神話は、天地(宇宙ないし自然)の中に神が生まれたとします。「記紀」では「天御中主」が最初の神ですが、「竹内文書」等「記紀」以前の古文書では「元無極躰主(母止津和太良世)」から始まり、数代後に「天御中主」、更に「三貴子(天照、素戔嗚、月読)」が生まれます。

 

 ともあれ、ユダヤ・キリスト教などの一神教では、「宇宙の創造主」である神は人間を超越する者と捉えるのと違って、神道では自然(宇宙)を構成する万物(人間を含む)の中に神が宿るとするため多神教となり、また人間の外側(外在神)だけでなく内側にも神が宿る(内在神)とします。

 

 この結果、神と人間はもちろん、あらゆる万物は対立することなく連続して存在し、神と天皇と人々が一体化して構成された大家族(国家生態系)こそが「國體」であるとします。また、「外在神=他力本願」、「内在神=自力本願」を意味することから、日本においては仏教も独自の進化を遂げます。

 

 ちなみに、古事記のもう一つのテーマ「国譲り」神話では、「大和」と「出雲」という対立する国家が、話し合いで統合され、「大和(磐余彦)」が政体(表)を担い(「治らす」しらす)、「出雲(長髄彦)」は國體(裏=祭祀)を担う(「頷く」うしはく)とされます。

 

 

 実際、江戸時代の日本では、老中松平伊豆守信綱の発案により、商家が長屋を住民に貸して対価を糞尿でもらい、それを農家に持ち込んで堆肥として活用するという循環型経済社会システムが出来上がっていました。川に流していた欧州などとは異なり、日本では世界で唯一、糞尿を農業に使う等の「皇道経済」が成り立っていたのです。

 

 

 このような循環型経済社会システムの思想と仕組みは、「違いを認めつつ一つに帰着する」という多神教的価値観の下、他人と競争するのではなく、それぞれが個性を発揮して、「生かし、生かされ、あるがままに任せる」という「共創分業社会」が、日本では古くから定着していたことを物語っています。

 

 この点、タントラヨガの世界的指導者であるP・サーカーは、資本主義、社会主義を超えた、人間中心ではなく生態系が中心の、経済至上ではなく霊的生命を至上とした非営利協同組合が運営する家族的でホリスティックな協同経済システムを提唱していますが、これこそ正に「皇道経済」に他なりません。

 

 一方、「神」「愛」などの価値観に基づく論理で物事を制御し、短期的な結果を求めるのがキリスト教的欧米思考(雄牛神…使役)ですが、あるがままに任せて物事を制御せず、直感的に長期的な変化を感じ、受け入れるのが仏教、道教、神道などの東洋的発想(龍蛇神…流れ)です。

 

 また、キリスト教的な欧米思考では、「無償の愛」などを絶対的価値として自分の外側に設定しますが、仏教、ヒンヅー教、道教、神道などの東洋的発想では、「宇宙は曖昧な空」で、それゆえに様々な価値観をありのままに尊重します。

 

 しかし、それは「すべては自分の意識(今ここの意識)によって創造される(唯識)」、あるいは「すべては因と果や、内と外、陰と陽などの関係で成り立っている(中観)」からだとします。神道ではこの意識を「中今(なかいま)」、仏教では「而今(じこん)」といい、この創造原理を「ククリ」、関係原理を「ムスビ」、といいます。

 

 その由来は、記紀(古事記・日本書記)に出てくる「神産巣日神(かみムスビのかみ)」「高御産巣日神(たかみムスビのかみ)」、あるいは白山王朝の祖神「菊理(ククリ)姫」です。ちなみに、この「白山菊理姫」は、富士王朝の祖神「木花咲耶姫」と統合され、男神「アマテル」の妻「瀬織津姫」になります。