本日2稿目です。
令和6年能登半島地震で犠牲になられた方、及び被災された方々に
お悔やみとお見舞いを申し上げます。
数分後に写真↓をアップします。
『ともに』は昨年のトルコ・シリア大地震及び今年元日に発生した令和6年能登半島地震と
「ともに」だそうです。
29年前のちょうど今(投稿時間)、
阪神淡路大震災
が発生しました。
1995年1月17日午前5時46分。淡路島と阪神地区を中心に大きな地震がありました。
マグニチュード「7.3」・震度「7」(翌年震度の改正により「6」から切り替えられた)
今年は我が町『西宮市』の震災関連です。
何度も書いてますが、震災当日はスキーで兵庫の山奥にいました。 なので僕は震度4しか知りません。 西宮市は震度6だったみたです。 幸いうちは家の中は無茶苦茶でしたが、建物は大きな被害を受けるとこはありませんでした。 でもやっぱり西宮市内では被害の大きかったとこもありました。 JR甲子園口駅の北側も酷かったです。
西宮の被害を伝えるとこがうちのお墓のあるとこに隣接してありました。
西宮市犠牲者追悼之碑。
子供の遊び場になってました。 それでいいと思います。
当時の西宮市長の追悼の言葉です。
西宮市犠牲者追悼之碑の前にある白いモニュメントにこれがありました。
西宮市の死者数:1,146人。
ご冥福をお祈りいたします。
『令和6年能登半島地震』からの早い復興をお祈りします。