仮説 | 銀杏中毒

仮説

わしは90才にもうすぐってところだった。ワイフに先立たれてからは、毎日を釣りばかりして暮らしておった。春も夏も真冬もだ。真冬は、小さな用水路にふなっこがぎょうさん集まっておってな。小さい竿と小さな針で釣るんじゃ。しかしその年の冬は釣りには行かんかった。とにかく、もうさぶい冬でのぅ。外出なんてせずに子供達がスーパーで食料品を買ってきてくれてたんじゃ。

でものぅ、幸いに家の中にいればほんとうに暖かかったのじゃ。ハウスメーカーが一押ししていた高断熱高機密な住宅を購入しておったからなぁ。ワイフとの思い出がいっぱいつまった家じゃったよ。ワイフはなぁ、年老いても子供達に世話をかけてはいかんと常々言っておったからなぁ。あんな家を購入したのも、わしと2人で健康に暮らせるようにと色々と情報を集めとったからだ。ヒートショックとかゆーやつでのぅ、それで亡くなる老人が多いからと、室内のバリアフリーどころか、温度のバリアフリーもよく取り入れた家にしたんじゃよ。我が家は、ワイフの強い希望があって、ヒートショックを防止するための高断熱高機密住宅だったんじゃ。

壁裏には発砲ウレタンがたっぷり入っていたし、二重サッシに床暖房の輻射熱効果。24時間23度に室温はコントロールされておった。浴室・脱衣室だって暖房でぬくかったんじゃ。トイレももちろんあったか便座で温水洗浄できたんじゃ。しかも温風が足下から出てくるぜいたくな機能付便座だったよ。


しかし、自分にはワイフしかおらんかったから、そんな家にひとりでおるのが嫌になってしもうた時があった。それでたった1度だけお茶会に参加したのが、もみじが赤くなる頃じゃったかのぅ。

まさかこんなわしにワイフ以外の女性が恋心を持ってくれるなんてのぅ。秋も深まる頃から厳寒だったあの冬にかけて何度か電話で話をしたんじゃ。だんだんとあの人にときめきを感じるようになってのう。それで、思い切ってあの日のわしは、駅前のコーシーショップに誘ったのじゃよ。この冬1番の寒さだと前日の天気予報で聞いていたから、分厚いセーターの上にダウンジャケット、マフラーも巻いたんじゃ。しばらくぶりの外出だったよ。

玄関のドアを開けた瞬間、その日の東京は2度で、わしの心臓を一瞬で機能停止に導いたのじゃった。


高断熱高気密の住宅に住み、外の気温をまったく感じずに過ごしていたから・・・でものぅ、わしは喜んでワイフのもとに行くんじゃよ。「お茶だ、お茶だ。」