夕方、なんとなくニュース番組を観ていた。
神足裕司さんがくも膜下出血となり本を出版し現在執筆活動をしているという内容であった。
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救急車で運ばれた時点でグレード5。
1か月半、意識がなかったそうである。
「どうしても書かなくてはならなかった。
ボクには唯一、書くという機能を神さまが残してくれていた。
脳のほうはさっぱりだけど、書くことができる。
書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気がするから、ボクは書き続ける。
これからもボクはつまらなくても、忘れても、書き続けると思う。
だから、これからもずいぶん、おもしろい人生を送ることができそうだ。
迷惑をかけてしまうかもしれないが、これからが楽しみだ。
書くことが、生きることなのだ。
書いて、書いて、書きまくるぞ」(「あとがき」より)
脚が動かないというのがどんな感じかというと、夢のなかで一生懸命、声を 限りに叫んでいるのに、近くにいるにもかかわらず、声が届かない。
誰も気づいてくれない。そんな感じか……。
そこにあって、届かない感じだ。
昔、歩いていたのだから、歩く感覚はわかっているはずだ。
しかし、だ。
歩こうと思うと、歩くという指令は逆に脚に届かない。
食べようと思って左手を口に持っていこうと考えると、手は動かなくなる。
話そうと思うと、話せなくなる。自分が考えてやろうと思うと、動きは止まる。
やはり、脳の指令はうまく末端に届かなくなってしまっている。
逆に、考えずに自然に出てしまったようなときは、声も出るし、脚も動く。
考えないというのは、むずかしいものだ。
人は知らず知らずに考えることと動かすことの2つの動作を行っているが、それにずれが生じると、しようとしていることは何もできなくなる。
できの悪いロボットのようなものだ。
最近、身体がよく動くようになった。
動くといっても、頭が少し前に倒せるようになったとか、そんなものだ。
けれど、ボクにとってはかなりの前進だ。
身体をおじぎするように前に倒せるということは、蕎麦やラーメンを啜ることができる。原稿も読めるし、ご飯もこぼさない。
こんな少しのことができるようになるだけで、無限にできることが増えるのだ。人間の身体というのは、すごいものだ。よくできたもんだと、つくづく思う。
意外と単純で、かなり複雑なものだ。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20131219
ブログ 琥珀色の戯言 引用
自分の状態を文章にするって結構難しい。
表現できる人間がわかりやすく伝える!
私もできればなぁ~と思うがなかなか・・・。
ただ知り得た情報を伝えることはできるので記事にしてみた。