両親の特別養護老人ホームへ毎週水曜日の午前中面会に行っています
4月17日の特養からの景色
末っ子の母は小学5年の時に母(わたしの祖母)を病気で亡くしています
それからというもの母親の温もりを知らないで育ったと思う
父親(わたしの祖父)は公務員で、母は裕福な家庭で育ちお手伝いさんもいて、当時学校ではひとりだけ革靴、革の鞄で通っていたそうだ
(現在80代の母)
母は高校を卒業してドレスメーカー学院に入り、そこで和洋裁を学んだ
卒業と同時期に公務員の父とお見合いをし結婚した
そして母も公務員として働いていました
色白で小柄な母の当時のセピア色に褪せた写真を今見ても顔立ちが美しい
瓜実顔の美人
どうも父の方が一方的に想いを寄せて話しはとんとん拍子に進んだようだ(残念な事にわたしは父の顔に似ている)
そして兄が産まれ、わたしと弟が産まれた
母はドレメで習得した技術を生かし、わたし達きょうだいの洋服はいつもハンドメイドだった
冬はフラノやツィードでダッフルコートやポンチョ風のマントも縫ってくれた
父には何着もスーツを仕立てていたのを記憶している👔
小学5年生で実母を亡くした母は、特養に会いに行く度に良く言うのは、
「あんたが来てくれたら、お母ちゃんに会うたような気がしていけん」と。
わたしは当然祖母を知らない
認知症の母は、わたしが娘だとはっきり認識してるものの
淋しさからか
昔を振り返ってるのか
今になって母親が恋しいのか
母親とわたしが被るのか
歳を取ると妙に幼くなり、愛おしく思える
ましてや去年の脳梗塞の後遺症で左半身麻痺で車椅子
見るのも辛くて悲しいが、そんな姿になっても母は何も不満や愚痴をこぼさない
手も足も不自由になり、若干の嚥下障害がある為、食事もミキサー食しか食べれない。
わたしから見たら不憫でならない
それでも
「美味しい美味しい、皆がよーしてくれてじゃけ、有り難いんよ」と嬉しがる
若かった頃の母は不平不満の連続で、わたし達きょうだいはそのストレスの吐き出しの的にされていた🎯
それなのに、認知症になり身体も不自由になったにも関わらず人が変わったように大人しくて素直
健気になった
わたしにはその理由は解らないが今、母がいじらしくて可愛く思えて溜まらない
認知症とは言え、わたしとの会話は難なく出来るし受け答えも正しく出来る
そんな母は今どんな事を思い、何を糧に生きてるのか
楽しみはあるのか
どうぞこのまま時が止まってくれたら…
と何度も思うが、土台無理な話し。
わたしは若い頃から母の事は憎んでたし、大嫌いだった
こんな人間なんかにならんぞと反面教師で生きて来た
それが今は大逆転して、そんな姿になった母から学ぶ事が沢山ある
たとえ認知症になっても人間としての尊厳はあります
無茶も言わず明るく振る舞うその姿勢にわたしは母に対してすまない事をした
そう猛省している
それどころか、
今となってはわたしの自慢の母だと声を大にして言える
どうか僅か1分でも長生きして最期は苦しまないように…
と毎日祈るわたしです
ありがとう
お母さん
あなたの娘で良かったよ